警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずです。

界隈の言葉の乱れに、ちょっとだけモノ申してみたかった

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 熱海旅行記の1話目を書き終えて、すっかり飽きてしまった大塚です。

 今となっては、旅の記憶もすっかり薄れてしまったので、気分を切り替えて違う記事を書いてみようと思います。過去は振り返らない主義なんですよ、ハイ。

 さて、今に始まったことでもないのですが、あちらの界隈の方々の言葉の乱れっぷり、目を覆いたくなるものがありますよね? 言葉で商売しているはずのブロガーが、どうしてあそこまで言葉のチョイスに鈍感なんでしょうか? どうしてあそこまで言葉の意味を知らないんでしょうか?

 そこで本稿では、彼らの珍発言を紹介しつつ、どこをどうすれば「日本語足り得たのか」をみなさんと考えてみようと思います。

 まずはMacBook欲しさのPolcaで軽く炎上した、元大学生ブロガーのつねこさんから。なにはともあれ、大学卒業おめでとうございます。

 彼女のケースは言葉の単純なミスなんですけれど、ちょっと恥ずかしいレベルの間違いだったので採り上げてみました。

「追い風がくるのはきっと辛いはず…」

 とありますが、困難を意味する風は「向かい風」のはず。いや、航空力学的には向かい風のほうが浮力を得やすい場合もあるでしょうが、今は飛行機の話をしてるわけじゃないですよね。

「向かい風」と「追い風」の取り違えは、さすがにタイプミスでは起こりませんから、これはガチの無知だったってパターン。でもまあ、悲観的に見るんじゃなくて、失敗を楽しめるようになれたらいいのかも😳 

 お次はご存じ、元イケハヤ書生のキックさんです。新元号のニュースは、伝統や慣習を嫌う界隈のみなさんにも、どういうことだか人気でしたね。

 さて、一見すると前向きでステキな発言のように見受けられますけど、よく読むと「日本の歴史で初めて平和な元号って一体どういうことでしょう?

 平成の時代にも、それまでの時代と変わらず、痛ましい事件や事故、災害が多数ありました。何を持って平成の世は「日本の歴史で初めて平和」だったと言えるのでしょうか。

 まあ、推察するに「初めて(日本国内で)戦争が無かった時代」と言いたかったのでしょう。であるならば、安易に「初めて平和な」なんて済まさずに、「日本の歴史で初めて戦争の爪痕が記されない元号」とでもしたほうが、意味も通りやすくて良いと思うんですけどね。

 こういう言葉遣いの甘さは、思わぬ誤解や批判の原因にもなりかねません。自分の発言を客観視する姿勢は常に保っておきたいものです。そこを疎かにしておきながら、他人の指摘を「揚げ足取りだ!」とは失礼千万……ってスミマセン、なぜか熱くなってしまいましたね。

 いつまで経っても会社が憎いこーせいくんも、言葉を語る割には「珍日本語」の使い手であります。

 ここでは「SNSでの発言内容を見ればエントリーシートなんて要らない」などと、手垢にまみれた暴論を威勢よく語っています。その発言の良し悪しはおいといて、「採用する側も選別が楽なのでは?」というこの言葉はいただけません。

 人が人を選ぶ行為を表現するのに「選考」ではなく「選別」のほうをサクッとチョイスするこの感覚。常に上から目線な彼の人間性がよーく滲み出てると思いませんか?(あの上から目線キャラは彼が演じているのだとすると、このチョイスはむしろ正解なので、その場合は深くお詫びいたします)

 言葉のセンスは本人の人間性と通じるものがあります。心を磨くことは、言葉を磨くことと同義であることが、おわかりいただけたかと。

 最後は、このところポエトリーリーディングなるものに傾倒しておられるプロ無職さん。クラファンの企画にもこのぐらい情熱を傾けてくれると良いのですが…。

 という嫌味はさておき、「雪崩のように文字が湧き出る」って、控えめに言って何でしょうか? 雪崩なら「押し寄せる」、湧き出るなら「泉のごとく」とかでしょうに…。

 他人を感動させるために大切なのは、技術よりも思いであるということには、一定以上の理解は示せます。しかし、思いを「言語」として吐き出すだけでは不完全なのです。そこから一つ一つの「言葉」に紡いでいかなければ、相手の心には届きません。

 ましてや意図的でもなんでもない、単に間違えただけの言葉で、どうして人の心が動くでしょう(いや、爆笑はしましたけどね)。なにはともあれ、次回のインプットタイムからは「国語辞典」も持参されることを強くお勧めいたします。

 人間ですから間違を犯すことはあります、言葉に於いてもそれは例外ではありません。ですが、言葉を生業にする以上、ブロガーだか発信者だか知りませんけれど、言葉に対してもっとリスペクトの念を持つべきではないでしょうか?

 誤字・脱字ならともかく、言葉の意味そのものを間違えるというのは、みなさんが常に口を酸っぱくして言ってるインプットが圧倒的に足りてない証拠だと思います。まだまだ、修業が足りませんね…って、最後に「修業」と「修行」の取り違えを誘発させるセルフトラップが発動! あぶね〜っ!!

 界隈のみなさん、私も油断しないで頑張りますっ!!!

幻の熱海旅行…からのぉ、強羅温泉〜芦ノ湖ぶらり旅 〜その1〜

 

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 先日、箱根は強羅温泉に行ってきた大塚です。別に温泉旅館で界隈☓アンチの対談をしようとか、そういう物騒なアレではございません。単に人生を楽しむべく、たまの贅沢をしたいと思っていただけ。

 しかし、当初から強羅を目指していたわけではなく、本来は熱海に行く心づもりでおりました。数ヵ月前からお目当ての温泉リゾートホテルを予約して、万事抜かり無く…のつもりが、その後に予約したゴールデンウィークの旅行をキャンセルしたどさくさで、3月の熱海旅行の予約までキャンセルしてしまい…。

 その事実が発覚したのが旅の3日前。慌ててまだ予約の取れる温泉宿を探した結果、「強羅花壇」しか選択肢が残っていなかったという、恐怖のエンディングを迎えたわけだったのです。

 

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 さて、箱根旅行と言ってすぐに思い浮かぶのは、「小田急ロマンスカー」ではないでしょうか。「ロマンスカー」とは、なかなか小洒落た響きですよね。しかし、私はロマンスカーにありがち(?)な、浮かれた乗客が大嫌いなのです。よって、落ち着いたビジネスマンの率が高いと思しき新幹線で小田原駅を目指すことにしました。

 私の想像通り、新幹線は落ち着いたビジネスマンで一杯。一杯すぎて普通車が満席になるほどで、その結果として私は「品川ー小田原間」ごときにグリーン料金を支払う羽目となったのでありました…。

 とはいえ、小田原駅で乗り換えたロマンスカーは、「小田原ー箱根湯本間」ですら耐え難いほどの喧騒っぷり。途中、車内を走り回る子供に耐えかねて「死にてぇのか、クソガキ!」というニュアンスの視線を何度送ったことか(ま、効果はサッパリでしたがね)。精神的ゆとりを金で買った私の選択は、まあ間違ってはいなかったでしょう(と信じたい!)。

 箱根湯本駅からは箱根登山鉄道に乗り換えて最終目的地の強羅を目指します。こんなクソ面倒臭い移動を強いられるにもかかわらず、強羅行きの登山電車は通勤ラッシュ並みの満員状態。当然、席には座れませんでした。眼の前には、なぜか男同士で旅行中の地味な二人組の姿。あ、そうか。箱根って、あっち方面の聖地でもあったっけ…。

 いつもの通勤時であれば少々の満員状態ぐらい、「給料のためにエ〜ンヤコリャ♪」てな具合で我慢もできるのですが、行楽時には「なんで高い金払ってまでして、こんな田舎で満員の電車に乗んなきゃアカンのじゃ!」とボヤキの一つも出るというもの。

 イケハヤさんが言うところの「消耗」を重ねましたが、まあなんとか無事に強羅駅に到着しました。まだ宿のチェックインには時間があるので、彫刻の森美術館なんぞに足を運んでみることにします。登山電車に乗ってきた道をそのまま引き返しつつ、「彫刻の森美術館駅」で下車しなかった自分を軽く責めてみたり。

 

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 幸い天候には恵まれたので、絶好の「彫刻の森美術館日和」でしたが、なにせ彫刻がデカすぎてスマホのカメラではあまり上手に撮れません。写真を撮ることを諦めた私は、巨匠たちによる作品群を目に焼き付ける戦術に切り替えました。

 ちなみに、私の実家の裏手にある某公園も屋外の彫刻作品群で有名な、地元ではちょっとは名の知れたスポットなのですが、彫刻は彫刻でも現代彫刻のほうなので、なんだかトランスフォーマーの成れの果て感が半端ありません(下の画像)。

 

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 美術館の敷地を奥に進むと、嬉しいことにカフェでハイネケンを売っていました。思いがけない出会いに、昼間からビール気分にしまうのも当然といえば当然。空きっ腹にビールを流し込んで、ほろ酔い加減でカフェを後にしようと思ったのですが、カフェの2階が企画展コーナーになっていたので酔って…いや寄ってみることに。

 すると、酔っぱらいの前にジャコメッティモディリアーニの彫刻作品が、文字通りむき出しで展示されるという、非常に危険な空間が広がっていました。お目付け役として学芸員のお姉さんもいるにはいるのですが、虚空を見つめたままで実にやる気を感じさせない佇まいです(※個人の感想です)。
 さらに展示室の奥のほうでは、彫刻の価値を1mmも理解できていない子供が、作品そっちのけで走り回っているではないですか。「坊や、そこで転んで彫刻にぶつかったら、キミのパパは一生、彫刻の森美術館の奴隷になるんだよ」というニュアンスを含んだ眼差しを送りますが、ただの変な酔っ払いに思われただけでした。

(つづく〜とは思えない)

みなさん、今夜は親子丼(健全なほうの)だヨ!

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 昼に自家製ベーコンを食べすぎて胸焼け気味の大塚です。さて、前回も言いましたとおり、私はこう見えて(どう見えて?)自炊力がわりとあるのです。というわけで、今夜は親子丼などを作ってみましたので、その様子をみなさんにご報告いたします。

【材料:3〜4人分になると思います
…100〜150mlぐらい だしの素ティーバッグ状になっているもの1袋(決してTバック状のものではない) 醤油…大さじ4 みりん…大さじ3 …大さじ1 砂糖…小さじ1(砂糖は好みで増量してもいいかも)鶏もも肉…300g(唐揚げ用にカットされているものだと下ごしらえが楽です) 玉ねぎ…1個  …4〜6個

 まずはフライパンに水を入れて、だしの素のティーバッグをぶち込んで火にかけます。1〜2分ほど沸騰した状態が続いたら、だしの素を取り出して、醤油、みりん、酒、砂糖を投入。オタマか大さじでくるくるかき混ぜたら、とりあえずフライパンを満たしている怪しい液体の味見をしてみましょう。ここで人間の食い物の風味がしたら、滑り出しは順調です。

 鶏肉は唐揚げ状にカットされた状態のものをさらに、1/2か1/3に切り分けます。火にかけると多少は縮むので、気持ち大きめに残しておいてかまいません(親子丼の鶏肉は大きめだと嬉しい派なので、世間一般のレシピよりは大きめだと思います)。鶏肉をフライパンに投入したら、中火でじっくり火が通るのを待ちます。待ち続けます。

 親子丼に限らず、料理は慌ててはすべて台無しになるので、ここで忘れていた玉ねぎのカットにとりかかりましょうかね。玉ねぎは余らせても仕方ないので、まるまる1個を使いきりるのが私流。「明日以降に使うかも…」といって残した食材など、冷蔵庫でミイラになるのがオチですし。

 玉ねぎはシャキっとした食感を少し残したいので、そんなに薄くスライスする必要もありません(まあそもそも、薄くスライスできませんけど)。玉ねぎは鶏肉の表面の色がほぼ変わってきところでイッキに投入しましょう。というか、それまでにカットし終わること!

 玉ねぎにもある程度火が通ったら、フライパンの中の液体や物体(出汁や玉ねぎや肉片)を軽く口にしてみてください。人間の食い物の味がしたら完成したも同然です。

 最後は、これまた忘れていた卵を慌てて割って作った溶き卵をフライパンの中にまんべんなくぶちまけます(卵はしっかり溶くよりは、黄身と白身が多少は別れているぐらいの方が仕上がりが親子丼っぽいです)。卵にも軽く火が通ったら、火を止めてフライパンに蓋をして余熱でさらに加熱していきます。

 フライパンの蓋を開け、外見もなんとなく親子丼に見える状態になれば、めでたく完成の運びとなります。炊飯器をセットするのを忘れてなければ、丼にご飯をよそってあとはお好きなスタイルでお召し上がりください。とは言うものの、ご飯は軽く冷ましておいたほうが食べやすいと思います(熱いものon熱いものはやけどの可能性大)。

 彩りが地味なんで、あまり美味そうには見えませんし、卵のとじ方も未熟なのですが、予想以上に美味いですぞ! さあ、お試しあれ(…って、そんな芸風のブログじゃないってば)。

 

自家製ベーコンの作り方 〜カラーひよこさんに捧ぐ〜

 こう見えても自炊力のある大塚です。遠い昔に購入してみたはものの、ずっと放置プレイだったスモーカーを取り出して、自家製の燻製(主にベーコン)に夢中だったりしております。

 今回はtwitterで相互フォロー中のカラーひよこさん(@colorhiyokoma)さんからのリクエストにお応えする形で、自家製ベーコンのレシピ(とはいえ、決してオリジナルではない)をご紹介したいと思います。「カラーひよこ1000のレシピ」に加えていただけるだなんて、光栄だなぁ〜。

 …というわけで、早速準備にとりかかりますけど、私が使っているのはこのキャメロンズのSサイズスモーカー。税別4500円ぐらいでお買い求めいただけます(この記事にはアフィリンクなどありませんからご安心くださいw)

 

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 用意する食材はいたってシンプルで、豚バラブロック肉、塩、胡椒のみ。まずは、用意した豚バラブロックにしっかり塩胡椒をして、冷蔵庫で1〜2日ほど寝かせておきましょう(ちなみに私が我慢できずにその日のうちに燻してしまいますが)。塩胡椒は存外多めにまぶしてもOK です。

 肉の下ごしらえができたら、スモーカーに脂部分を下にして肉を置きます。スモーカーの底にはウッドチップを敷くのをお忘れなく。チップの種類はさまざまですが、今回は桜(Cherrywood)のチップを使ってみました。チップの量の目安は、加熱時間10分につき大さじ1杯。今回は40分加熱するので大さじ4杯です。

 

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 写真のようにスモーカーの油受け皿にアルミホイルを巻いておくと、後片付けが簡単なのでオススメですよ。ではまず、この状態でスモーカーに蓋をし、弱火で20分加熱しましょう。加熱時には結構な燻煙が漏れ出てくるので、お部屋の換気もお忘れなく。

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20分ほど加熱したら、肉を裏返しにします。ここからさらに20分ほど弱火にかけましょう(今はまだ油受け皿がキレイですが、裏返してからのほうが油がしたたる傾向があります)。

 

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 裏表20分ずつの計40分加熱したら、ご覧の通りいい感じで仕上がりました。温かいうちにスライスして食べてもいいですし、冷えた塊をフライパンで再加熱して食べてもGood!です。余ったお肉でBLTサンドカルボナーラなんかもいいかも知れませんが、私は面倒なのでほぼこのままで食べつくします(どこが自炊力だ!)。

 市販のものより安全で美味くて、結果的に安くあがってしまいます。ぜひ、お試しあれ〜。あれ、このブログってこんな芸風だったっけ?

アンチが教える正しいアンチのあしらい法

 先日、やまゆうさんという界隈寄りのお方が、twitterでボヤ騒ぎに見舞われておりました。さて、その原因となったツイートがこちら。

  さほど目新しい発言でもない…というか、かなり手垢のついたネタなんですが、結構な数のリツイートやいいねを集めた結果として、批判的な意見もそれなりに寄せられてしまったというわけですね。

 批判の内容やその是非については、本稿の狙いとは無関係なので割愛するとしますが、その後のやまゆうさんの対処を見ていくつか思うことがあったので、自分なりのアンチ対処法などを考えてみました。

 さて、ボヤ騒ぎにきがついたやまゆうさんですが、まずはブロックすることで身の安全を確保しようと試みます。これは極めて当たり前の対処法なのかな、と。

 ただ、言われっぱなしで終わるのが悔しかったのか、批判の主を挑発するように捨て台詞でツイートを締めています。これはあまりお勧めできません。

 なぜなら、批判の主をことごとくブロックしたところで、まだ自分が燃えていることに変わりはないからです。相手の怒りの炎が燃え尽きるまでブロックで凌ぐ。これがブロックの正しい使い方ではないでしょうか。

 ブロックをしたところで、別垢でスクショを撮られて叩かれることまでは防げません。悔しいでしょうけど、ブロックという手段を選択した際には、後は徹底的に無視するに限ります。敵にこれ以上の燃料は与えないように努めることが肝要です。

 しかし、やまゆうさんはブロック宣言後も興奮冷めやらぬようで、批判の批判を繰り返していきます。

 

「人を批判することが、ストレス発散になっている」というのは、界隈の方々が批判されたときに口にするボヤキの定番ですね。中にはそういう目的で批判をしている人もいるのでしょうが、全部が全部そうだと決めつけるはどうでしょうか。イソップ寓話に出てくる狐が、「どうせあの葡萄は酸っぱいに違いない」と吠えている姿と重って、ちょっと格好悪いと思いませんか。

「嫌なら見るな」論も界隈の方々はよく口にしますが、これはある意味「いやなことがあっても、泣き寝入りしろ」と言ってるのも同然の屁理屈なのでお勧めはしません。市井の凡人であろうとも、世間に広く自身の考えを発信する際には、多少の批判が寄せられることぐらいは覚悟しておくべきでしょう。

 義憤に駆られたのか、やまゆうさんのアンチ論はまだまだ続きます。上の意見は一見すると正論とも思えるのですが、結局のところ「その指摘」がどちらなのかをジャッジするのが、送りて側ではなく受け手側(この場合はやまゆうさん)だとしたら、まるで意味をなさない言葉でもあります。「そのジャッジがやまゆうさんは出来てないんじゃないですか?」という新たな批判材料にもなりかねません。

 平時であれば前向きに受け止めてもらえるような言葉でも、炎上している際には格好の燃料になってしまうことすらある。これは肝に銘じておきたいものです。

 逆に、こうした無意味なツイートでお茶を濁すのは、火消し効果も高くて効果的なのではないかと思います。フォロワーさんからの同情も得やすいでしょうし、運が良ければ怒れるアンチも猫画像で癒やされるかも。少なくとも可愛い動物にすら噛み付けるほどの人は、アンチを見渡してもそうそういるものではありませんし(ただ、もう少し新しいネタはなかったのか、とは思いましたが…)。

 ところが、やまゆうさんはブロックの内側で独り吠えるのに飽きたのでしょうか。一転して、こんなことを言い出したのです。

 この狙いがよくわからないのですが、1万人を超えるフォロワーに晒すことで、フォロワーのファンネル効果でも狙ったのでしょうか? ちなみに、このツイートの後で最初にリツイートされたのが、私のこのツイートだったという嘘のような本当の話も……。

 上にある通り、後にやまゆうさんご本人から、あれはアンチ認定のリツイートではなく、本来の意味でのリツイートだった旨のリプをいただいたのですが、タイミング的にあのようなツイートをした後は、誤解を避けるという意味でも、しばらく通常のリツイートは避けるべきだったでしょう。

 さて、しばらくすると騒ぎも下火になってきたのもあってか、やまゆうさんはこのようなツイートで総括を始めます。

 

 一連のアンチRT作戦は、教育改革という自分の大目標を達成するための一種の実験だったということのようです。意見を異にする人間との向き合い方をこの騒動で学ぼうという、やまゆうさんなりの意図があったのでしょう。

 ただ、ここにも新しい燃料となる失言が散見されます。「敵を示し、味方の結束を図る」とか「アンチの方々は本当に性格がひん曲がってますね苦笑」あたりがそれにあたります。

 なぜなら、やまゆうさんが活動の主にしているテーマは「教育」だからです。教育の未来を語る人の口から、このような心の狭い発言、人が人を選ぶような発言がされたとしたら、批判する側からしたら絶好のチャンスでしかないでしょう。これはもう「ごっつあんゴール」も同然です。

 そして、そんなアンチとの闘いで完全に冷静さを失ったやまゆうさんを見て、奥様がストップをかけたのであります。その時のツイートがこちら。

 いや、これは皮肉でもなんでもなく、素晴らしい奥様だと思います。しかし、こんなツイートをしたら絶対にいけません。このツイートで間接的に奥様まで、アンチとの闘いに参戦したことになってしまうではないですか。

 せめて「ネチネチした人」がもっと無難な言い回しであれば良いのですが、中にはこの言葉に過剰に反応して、今度は何の罪もない奥様に対して誹謗中傷を寄せる人がいてもおかしくはないですよね。

 ということで、差し出がましいのは承知の上で、やまゆうさんにその旨をお伝えしました。

 そうしたところ、ほどなくしてやまゆうさんご本人から「いいね」を頂戴しましたので、私の中ではやまゆうさんは「良い界隈民」という認識でファイナルアンサー(単純だな、オイ)。

 炎上しそうになった時は、中途半端が一番よくありません。逃げるなら徹底的に逃げる。悔しくても反論しない、アンチに言及しないを徹底する。逆に迎え撃つなら極めて冷静に「情」ではなく「理」を持って対峙する。どちらを選ぶのかは、あなた自身のパーソナリティ次第です。

 では健全なツイッターライフを(…って、どっかで聞いたような)。

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜6〜

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■批判がネット上にはびこる理由
ここから、なぜネットに特定人物への批判がこれだけはびこっているのか、その心理を考えてみたいと思う。

※「批判」の言葉を持ち出すと、いろいろとややこしくなる。本稿は「アンチ論」なので、「アンチ」に置き換えるべきだ。

「■アンチがネット上にはびこる理由
ここからは、なぜネットにアンチが蔓延しているのか。
どの原因を考えてみたいと思う。」

僕が思うに、この理由には大きく3つの要因があると思っている。
1.批判が的確に見える事実
2.他人の批判を鵜呑みにする危うさ
3.他人の不幸は蜜の味という人間の汚さ
これだと思っている。順番に解説する。

※3つの要因が、この後に語られる内容としっかりリンクしているのか、そこはキチンと確認しておきたい(誤字訂正しました……)。

「思うに、これには3つの理由が考えられる。
1. 『批判』は見栄えが良い
2. 『議論』の構図が作りにくい
3. 人は他人の『不幸』を見るのが楽しい
では、順番に説明してゆく。」

1.批判が『的確』に見える事実
人が人を批判するというのは、往往にして派生しやすい。
炎上というのはまさにこれによって起きる。
その炎上が起きたり、アンチがはびこる理由として、批判が的確に見えるという事実がある。
前提としてもちろん的確なものがないとは言わない。ただ、完全に論点がずれているようなものですらも、考えようによっては「確かに」を思わせる効力を持っているのだ。

※冒頭の「炎上」のメカニズムは、まったく関係のない話題なので削除する。ここでは「批判」という言葉は敢えて使うことにした。これは「もちろん的確なものがないとは言わない」とあるので、この一文があれば「批判」の意味が読者に正しく伝わると判断したためだ。

「1.『批判』は見栄えが良い
『批判』は一見すると、どんなものでも説得力があるように思えてしまう。もちろん本当に説得力のある批判もたくさんあるが、ピントがぼけたトンチンカンなものでも、流し読みするだけだと『確かにそうだな』と思わせる力があるのだ。」

例えば以前、僕がSNSコンサルをします!と言うツイートをしたんだが、これに対して「そんな誰でもできるようなことで金取るとかクソ!」みたいな発言を目にしたことがあった。多分これは、僕が1年前に見たとしても「確かに」と思う部分もあったと思う。実際によくそんなことで金を取れるなという風に思う人もいるだろうし、なんなら相互フォローでなんぼでもフォロワーなんて増やせるわ!という反論をしていた人もいた。
しかし、SNSでフォロワーを増やすと言っても買ったり相互フォローで増やすのと、売りたい商品や広めたいものが先にあって、それを求めている層のフォロワーを獲得していくのとではプロセスが全然違ってくる。そしてコンサル自体はそれを、先に実践している者から教えてもらって時間短縮しようと言うニーズを満たすサービスであるから、別にフォロワー増やしたいと思ってもないし自分で商品を持っていない人からは全くいらないサービスであると言うだけだ。
説明すれば、単純にそれだけなのだけど、批判意見だけを見ると「もっともらしいことだ」という風に思わせる魔法のようなものがある。
もっと極端な例を出すと、僕がスポンサーに高級焼肉を奢ってもらったと言うツイートをしたことがあるのだが、それに対して「自分はサラリーマンだけどもっと高級なフレンチに行けてる。そもそもその焼肉屋そんなに高級じゃないと思うけど。それがフリーランスの現実かな」みたいなアホな意見がきてたが、これに対しても「なるほど。」みたいな賛同している人がいたくらいだ。まったくもって頭の悪いマウンティングとしか思えないが、こんなものにも批判意見の効力が発揮されている。

※上記の実例紹介は、「批判は見栄えが良い」という論を補完する例としては機能していないので、全部削除して構わないだろう。仮に例として紹介するにしても、もっとシンプルにするべきだ。

「例えば『twitterのフォロワー数を増やす』というコンサルを始めたときに、『そんなものに金を払わなくても、片っ端からフォローしていけばフォロワーも自然に増えるだろ!』という批判があった。

もっと酷い例だと、僕がスポンサーに高級焼肉店で奢ってもらったとツイートをしたら、『自分はサラリーマンだけど、もっと高級なフレンチにも行ってる。そもそも、その焼肉屋さんそんなに高級じゃないと思うけど。それがフリーランスの現実かな』みたいなアホな意見もある。

でも、これらの批判にもつかない批判すら、ネット上ではある程度の説得力を持って受け止められてしまう。」

これは後出しジャンケンと同じだと思う。
人の揚げ足をとることほど簡単なことはない。これは人間社会のいろんな場所で見られる。
クラスの学級委員長に対する批判、芸能人に対するマスコミの批判、与党に対する野党の批判、テレビに出る芸人に対する「〇〇がおもんない!」などなど。

※「後出しジャンケン」と「揚げ足取り」は似ているようで少し違うので、ここではより広範囲にアンチの行為をカバーできる「後出しジャンケン」のほうをチョイス。それ以後に列挙された批判の例は、後出しジャンケンとはちょっと違うので、削除して先を急ぐことにしたい。

「つまり『批判』は基本的には『後出しジャンケン』なのだ。
 後出しジャンケンほど簡単なことはない。」

批判をする側は無責任でかつ、相手のダメなところを探して指摘するだけなのだからさぞ簡単な上に気持ちがよく、「ダメな部分を指摘できる俺は賢い」と思いながら優越感に浸れることだろう。

※この箇所は「後出しジャンケン」をより噛み砕いて説明するパートなので、シンプルにそこだけ説明する。「優越感に浸る」は頻出気味なので、そろそろ使用するのを控えていきたいところだ。

「批判をする側は、相手のダメな部分を採り上げて指摘するだけなので、簡単な上に気分が良い。良い部分は無視して、悪い部分だけを指摘し続けていると、『ああ、俺はなんて頭がいいんだろうか』などと錯覚に陥ってもおかしくはない。

そしてそれをとりまくバカな人たちも批判をする側の指摘が「するどい!」とか思っている。正直わらえる。
批判がどれだけ簡単かつ無責任で、誰でもできることかを理解している人が少なすぎる故に生じる現象だと思う。

※ここでの批判の聴衆を「それをとりまくバカな人たち」と制限してしまうと、批判が簡単であるという結論に少し繋がりづらい。アンチの取り巻きだけでなく、中立の立場にいる人ですら、批判の表面的な耳触りの良さに騙される、としたほうが良いだろう。また、「批判対象は良いことも言っているにかかわらず」という条件も付記したほうが、後出しジャンケンの小ずるさが強調できると思う。

「そして、その批判を目にした人たちも、アンチの自信満々な語り口に騙されて『この人、するどい!』などと感心しているわけだが、ここまで来ると批判対象の人が、他の部分でどれだけ良いことも言っていたとしても、それは世の中には広まっていかない。広まるのはアンチの批判だけだ。
批判が誰にでも出来る簡単な行為なのに、それを知らない人が多すぎるから起きる悲しい現象だ。」

だから誰かに対する批判は反応を得やすい。
もちろん全部が全部こうなってるとは言い難いし、実際に鋭い批判もあるだろう。しかし、はっきり言って全く見当違いであったり、そもそも論点がすり替わっていても、言ってることは批判する側の視点からすればもっともらしく見えるし、それに賛同する人が多く、その賛同で自分は賢い!と批判意見に拍車をかける人も多いというのが批判グループを見ていた正直な感想だ。

※この箇所は繰り返しの要素が大半なので削除で問題ない。筆者は「感情的になってこの文章を書いたわけではない」と強弁していたが、これだけ繰り返しが多いと、やはり感情的になって書きなぐった文章という印象は否めない……。

〜つづく(のもそろそろ面倒になってきた)〜

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜5〜

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■アンチがバカであるシンプルな理由
僕は1年間発信活動をしてきて、それなりにアンチと関わってきて至った1つの結論としては
総じて『アンチ活動』やってる人が"バカ"だな
と思ったことだw

※「1年間の発信活動」云々は、ここまで再三にわたり言い続けてきたことなので、さすがにそろそろ鬱陶しい。小見出しの「シンプルな理由」というのも、以下に続く説明のボリュームと内容を見るに、言うほどシンプルではないので「シンプルな」は削除したい。また、文末の「w」は知性を感じられないので削除。

「■アンチがバカだと思う理由
 アンチとそれなりに密接に関わってたどり着いた僕なりの結論はズバリ、
「アンチって総じてバカばっかりだな」
ということ。

ネット上で熱心に人に嫌味言ったりアンチ活動してる人は、自分がどういう心理状態で、その行動自体が何を生んでいるのかを客観的に理解していない。
単発で批判したり、意見に対して反対意見を言う分には全然いい。例えば誰かが「学校なんていらない!」と発言したとしても、その人が言及するのとは別のあらゆる観点から必要である要素は出てくる。だから反対意見はあってしかるべき。
ただ、実際にネット上の批判を見ていると「僕には反対意見がある」という主張をしたいからというよりも、他人の揚げ足とって優越感に浸ったり、批判や人格否定をすることに懸命になってる人が本当に多いと感じている。(ここに関して別に懸命になってないよ?みたいな否定もあるけど、その自覚がないことも違和感しかない)
自分は安全圏にいて見えないところから人に石を投げることが楽しい。相手がそれを見て苦しむ姿を見るのが楽しい。そして自分自身が危害を加えずとも、その叩かれている人の不幸を見て一種の快感を覚えて楽しい。そういった場面がネット上で見え隠れする。
「アンチは安全地帯から他人に石を投げるのが大好きだ。相手が苦しむ姿を見るのが楽しいからだ。また、直接自分が石を投げなくても、誰かが投げた石で苦しんでいる人を見るのも
そしてさらにたちが悪いのは、彼らは自分の行為を正義、もしくは的を得ていると思って活動してるということ。要はその行為自体が自分が快感を得るためにやっているという自覚がないと言うことだ。

※この5つのパラグラフは、文章云々より、先の「ネットモラルの低さと人の本質を感じた一年」の項で語った、アンチが醸し出す歪んだ構図の説明を繰り返しているだけでしかないので、全文削除して構わない。このように、先に述べたことを思い出してはクドクドと語るので、文章量が無駄に増えるだけで、まったくもって無意味である。

炎上にガソリンまいていく人はほんの一部なんだけど、みんなが叩いているところで巻き込まれたくないから誰も口出さない。よってネット上では人を批判する意見が大部分を占めてるように映る。叩いた側はそれを見て「みんなが俺に賛同している!俺は正義だ!」と踏ん反り返ってまた批判を繰り返す。

※ここまでアンチの行為を「石を投げる」としていたのが、急に「炎上にガソリンをまく」に変わっているが、比喩を理由もなくころころ変えるのは、読者の混乱のもとであるのでなるべく避けたい。また、「巻き込まれなくない」のはアンチなのかそれ以外の人なのかが区別しづらいのも修正ポイントだろう。

「ネットで他人に石を投げつけてくるアンチは、そんなに数が多いとは思わない。でも、それを見た一般のネットユーザーは、巻き込まれたくないと思うからあえて注意しようとはしない。そこに口を挟むのは、石を投げているアンチに賛同する他のアンチぐらいのものだ。そうなるとアンチたちは『誰も俺たちには反論できない! なぜなら俺たちこそ正義だからだ!』と、ますます勢いづく。」

その状況を見た人はネットで知らない人の悪口があると多かれ少なかれそれを鵜呑みにし、悪い奴がいるんだと認識して、あわよくば同じように叩く。要するにいじめの心理と丸被りなんだ。そこにはどこまでいってもただ叩かれる側と、叩いてる何人かが優越感に浸っていると言う構図しかない。その事自体に気づけないこと、人を傷つけてしか快感を覚えられない自分の性質に自分から向き合う勇気もないからアンチ活動に専念してる人は"バカ"なんだと思っている。そう言う人間はなんの意義もない悲しいことに躍起になってる自分を鏡の前に立って見つめるという能力がない。
ってのが、アンチと色々関わってきたこの1年で感じたことだ。

※ここも前項の繰り返しっぽいが、「アンチはバカだ」という結論への誘導としては残さざるを得ない。多少、説明を補足している部分はあるので、そこを中心にして構成を組み直したい。

「こうなってしまうと、アンチ以外のネットユーザーも勘違いをして、アンチに賛同するようになってしまう。場合によっては一緒になって石を投げはじめたりもする。要するに「イジメ」の起きる原理と一緒なのだ。いい大人がそこに気づけないどころか、人を傷つけることで快感を覚えていることに、なんの疑いも持とうとしない。だからアンチ行為を繰り返している人は『バカ』なんだ。」

これは僕が批判される側だから、自分の発信の質を棚に上げて「批判することは悪だ!」みたいに言っているように見えるかもしれないけどそうじゃない。
別に感情に任せて書いているつもりもない。いたって客観的に見て、批判活動に専念する人たちの心理というのを自分なりに分析してみた結果ということだ。
というわけで、今言ったことがよくわからんと思うし、ちょっと偏ってると思う人も多いと思うので、ここをさらに掘り下げていく。僕が1年間で思ったことをあらかたこのnoteに書いておこうと思うので、多少長くなるがよかったら最後まで読んで欲しい。

※上の2つのパラグラフは、言い訳や予防線みたいな内容だったり、この期に及んでの「前置きはここまで」的な要素なので、思い切って削除しても構わないだろう。

~つづく(つもり)~