警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずです。

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜6〜

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■批判がネット上にはびこる理由
ここから、なぜネットに特定人物への批判がこれだけはびこっているのか、その心理を考えてみたいと思う。

※「批判」の言葉を持ち出すと、いろいろとややこしくなる。本稿は「アンチ論」なので、「アンチ」に置き換えるべきだ。

「■アンチがネット上にはびこる理由
ここからは、なぜネットにアンチが蔓延しているのか。
どの原因を考えてみたいと思う。」

僕が思うに、この理由には大きく3つの要因があると思っている。
1.批判が的確に見える事実
2.他人の批判を鵜呑みにする危うさ
3.他人の不幸は蜜の味という人間の汚さ
これだと思っている。順番に解説する。

※3つの要因が、この後に語られる内容としっかりリンクしているのか、そこはキチンと確認しておきたい(誤字訂正しました……)。

「思うに、これには3つの理由が考えられる。
1. 『批判』は見栄えが良い
2. 『議論』の構図が作りにくい
3. 人は他人の『不幸』を見るのが楽しい
では、順番に説明してゆく。」

1.批判が『的確』に見える事実
人が人を批判するというのは、往往にして派生しやすい。
炎上というのはまさにこれによって起きる。
その炎上が起きたり、アンチがはびこる理由として、批判が的確に見えるという事実がある。
前提としてもちろん的確なものがないとは言わない。ただ、完全に論点がずれているようなものですらも、考えようによっては「確かに」を思わせる効力を持っているのだ。

※冒頭の「炎上」のメカニズムは、まったく関係のない話題なので削除する。ここでは「批判」という言葉は敢えて使うことにした。これは「もちろん的確なものがないとは言わない」とあるので、この一文があれば「批判」の意味が読者に正しく伝わると判断したためだ。

「1.『批判』は見栄えが良い
『批判』は一見すると、どんなものでも説得力があるように思えてしまう。もちろん本当に説得力のある批判もたくさんあるが、ピントがぼけたトンチンカンなものでも、流し読みするだけだと『確かにそうだな』と思わせる力があるのだ。」

例えば以前、僕がSNSコンサルをします!と言うツイートをしたんだが、これに対して「そんな誰でもできるようなことで金取るとかクソ!」みたいな発言を目にしたことがあった。多分これは、僕が1年前に見たとしても「確かに」と思う部分もあったと思う。実際によくそんなことで金を取れるなという風に思う人もいるだろうし、なんなら相互フォローでなんぼでもフォロワーなんて増やせるわ!という反論をしていた人もいた。
しかし、SNSでフォロワーを増やすと言っても買ったり相互フォローで増やすのと、売りたい商品や広めたいものが先にあって、それを求めている層のフォロワーを獲得していくのとではプロセスが全然違ってくる。そしてコンサル自体はそれを、先に実践している者から教えてもらって時間短縮しようと言うニーズを満たすサービスであるから、別にフォロワー増やしたいと思ってもないし自分で商品を持っていない人からは全くいらないサービスであると言うだけだ。
説明すれば、単純にそれだけなのだけど、批判意見だけを見ると「もっともらしいことだ」という風に思わせる魔法のようなものがある。
もっと極端な例を出すと、僕がスポンサーに高級焼肉を奢ってもらったと言うツイートをしたことがあるのだが、それに対して「自分はサラリーマンだけどもっと高級なフレンチに行けてる。そもそもその焼肉屋そんなに高級じゃないと思うけど。それがフリーランスの現実かな」みたいなアホな意見がきてたが、これに対しても「なるほど。」みたいな賛同している人がいたくらいだ。まったくもって頭の悪いマウンティングとしか思えないが、こんなものにも批判意見の効力が発揮されている。

※上記の実例紹介は、「批判は見栄えが良い」という論を補完する例としては機能していないので、全部削除して構わないだろう。仮に例として紹介するにしても、もっとシンプルにするべきだ。

「例えば『twitterのフォロワー数を増やす』というコンサルを始めたときに、『そんなものに金を払わなくても、片っ端からフォローしていけばフォロワーも自然に増えるだろ!』という批判があった。

もっと酷い例だと、僕がスポンサーに高級焼肉店で奢ってもらったとツイートをしたら、『自分はサラリーマンだけど、もっと高級なフレンチにも行ってる。そもそも、その焼肉屋さんそんなに高級じゃないと思うけど。それがフリーランスの現実かな』みたいなアホな意見もある。

でも、これらの批判にもつかない批判すら、ネット上ではある程度の説得力を持って受け止められてしまう。」

これは後出しジャンケンと同じだと思う。
人の揚げ足をとることほど簡単なことはない。これは人間社会のいろんな場所で見られる。
クラスの学級委員長に対する批判、芸能人に対するマスコミの批判、与党に対する野党の批判、テレビに出る芸人に対する「〇〇がおもんない!」などなど。

※「後出しジャンケン」と「揚げ足取り」は似ているようで少し違うので、ここではより広範囲にアンチの行為をカバーできる「後出しジャンケン」のほうをチョイス。それ以後に列挙された批判の例は、後出しジャンケンとはちょっと違うので、削除して先を急ぐことにしたい。

「つまり『批判』は基本的には『後出しジャンケン』なのだ。
 後出しジャンケンほど簡単なことはない。」

批判をする側は無責任でかつ、相手のダメなところを探して指摘するだけなのだからさぞ簡単な上に気持ちがよく、「ダメな部分を指摘できる俺は賢い」と思いながら優越感に浸れることだろう。

※この箇所は「後出しジャンケン」をより噛み砕いて説明するパートなので、シンプルにそこだけ説明する。「優越感に浸る」は頻出気味なので、そろそろ使用するのを控えていきたいところだ。

「批判をする側は、相手のダメな部分を採り上げて指摘するだけなので、簡単な上に気分が良い。良い部分は無視して、悪い部分だけを指摘し続けていると、『ああ、俺はなんて頭がいいんだろうか』などと錯覚に陥ってもおかしくはない。

そしてそれをとりまくバカな人たちも批判をする側の指摘が「するどい!」とか思っている。正直わらえる。
批判がどれだけ簡単かつ無責任で、誰でもできることかを理解している人が少なすぎる故に生じる現象だと思う。

※ここでの批判の聴衆を「それをとりまくバカな人たち」と制限してしまうと、批判が簡単であるという結論に少し繋がりづらい。アンチの取り巻きだけでなく、中立の立場にいる人ですら、批判の表面的な耳触りの良さに騙される、としたほうが良いだろう。また、「批判対象は良いことも言っているにかかわらず」という条件も付記したほうが、後出しジャンケンの小ずるさが強調できると思う。

「そして、その批判を目にした人たちも、アンチの自信満々な語り口に騙されて『この人、するどい!』などと感心しているわけだが、ここまで来ると批判対象の人が、他の部分でどれだけ良いことも言っていたとしても、それは世の中には広まっていかない。広まるのはアンチの批判だけだ。
批判が誰にでも出来る簡単な行為なのに、それを知らない人が多すぎるから起きる悲しい現象だ。」

だから誰かに対する批判は反応を得やすい。
もちろん全部が全部こうなってるとは言い難いし、実際に鋭い批判もあるだろう。しかし、はっきり言って全く見当違いであったり、そもそも論点がすり替わっていても、言ってることは批判する側の視点からすればもっともらしく見えるし、それに賛同する人が多く、その賛同で自分は賢い!と批判意見に拍車をかける人も多いというのが批判グループを見ていた正直な感想だ。

※この箇所は繰り返しの要素が大半なので削除で問題ない。筆者は「感情的になってこの文章を書いたわけではない」と強弁していたが、これだけ繰り返しが多いと、やはり感情的になって書きなぐった文章という印象は否めない……。

〜つづく(のもそろそろ面倒になってきた)〜