警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

アンチが教える正しいアンチのあしらい法

 先日、やまゆうさんという界隈寄りのお方が、twitterでボヤ騒ぎに見舞われておりました。さて、その原因となったツイートがこちら。

  さほど目新しい発言でもない…というか、かなり手垢のついたネタなんですが、結構な数のリツイートやいいねを集めた結果として、批判的な意見もそれなりに寄せられてしまったというわけですね。

 批判の内容やその是非については、本稿の狙いとは無関係なので割愛するとしますが、その後のやまゆうさんの対処を見ていくつか思うことがあったので、自分なりのアンチ対処法などを考えてみました。

 さて、ボヤ騒ぎにきがついたやまゆうさんですが、まずはブロックすることで身の安全を確保しようと試みます。これは極めて当たり前の対処法なのかな、と。

 ただ、言われっぱなしで終わるのが悔しかったのか、批判の主を挑発するように捨て台詞でツイートを締めています。これはあまりお勧めできません。

 なぜなら、批判の主をことごとくブロックしたところで、まだ自分が燃えていることに変わりはないからです。相手の怒りの炎が燃え尽きるまでブロックで凌ぐ。これがブロックの正しい使い方ではないでしょうか。

 ブロックをしたところで、別垢でスクショを撮られて叩かれることまでは防げません。悔しいでしょうけど、ブロックという手段を選択した際には、後は徹底的に無視するに限ります。敵にこれ以上の燃料は与えないように努めることが肝要です。

 しかし、やまゆうさんはブロック宣言後も興奮冷めやらぬようで、批判の批判を繰り返していきます。

 

「人を批判することが、ストレス発散になっている」というのは、界隈の方々が批判されたときに口にするボヤキの定番ですね。中にはそういう目的で批判をしている人もいるのでしょうが、全部が全部そうだと決めつけるはどうでしょうか。イソップ寓話に出てくる狐が、「どうせあの葡萄は酸っぱいに違いない」と吠えている姿と重って、ちょっと格好悪いと思いませんか。

「嫌なら見るな」論も界隈の方々はよく口にしますが、これはある意味「いやなことがあっても、泣き寝入りしろ」と言ってるのも同然の屁理屈なのでお勧めはしません。市井の凡人であろうとも、世間に広く自身の考えを発信する際には、多少の批判が寄せられることぐらいは覚悟しておくべきでしょう。

 義憤に駆られたのか、やまゆうさんのアンチ論はまだまだ続きます。上の意見は一見すると正論とも思えるのですが、結局のところ「その指摘」がどちらなのかをジャッジするのが、送りて側ではなく受け手側(この場合はやまゆうさん)だとしたら、まるで意味をなさない言葉でもあります。「そのジャッジがやまゆうさんは出来てないんじゃないですか?」という新たな批判材料にもなりかねません。

 平時であれば前向きに受け止めてもらえるような言葉でも、炎上している際には格好の燃料になってしまうことすらある。これは肝に銘じておきたいものです。

 逆に、こうした無意味なツイートでお茶を濁すのは、火消し効果も高くて効果的なのではないかと思います。フォロワーさんからの同情も得やすいでしょうし、運が良ければ怒れるアンチも猫画像で癒やされるかも。少なくとも可愛い動物にすら噛み付けるほどの人は、アンチを見渡してもそうそういるものではありませんし(ただ、もう少し新しいネタはなかったのか、とは思いましたが…)。

 ところが、やまゆうさんはブロックの内側で独り吠えるのに飽きたのでしょうか。一転して、こんなことを言い出したのです。

 この狙いがよくわからないのですが、1万人を超えるフォロワーに晒すことで、フォロワーのファンネル効果でも狙ったのでしょうか? ちなみに、このツイートの後で最初にリツイートされたのが、私のこのツイートだったという嘘のような本当の話も……。

 上にある通り、後にやまゆうさんご本人から、あれはアンチ認定のリツイートではなく、本来の意味でのリツイートだった旨のリプをいただいたのですが、タイミング的にあのようなツイートをした後は、誤解を避けるという意味でも、しばらく通常のリツイートは避けるべきだったでしょう。

 さて、しばらくすると騒ぎも下火になってきたのもあってか、やまゆうさんはこのようなツイートで総括を始めます。

 

 一連のアンチRT作戦は、教育改革という自分の大目標を達成するための一種の実験だったということのようです。意見を異にする人間との向き合い方をこの騒動で学ぼうという、やまゆうさんなりの意図があったのでしょう。

 ただ、ここにも新しい燃料となる失言が散見されます。「敵を示し、味方の結束を図る」とか「アンチの方々は本当に性格がひん曲がってますね苦笑」あたりがそれにあたります。

 なぜなら、やまゆうさんが活動の主にしているテーマは「教育」だからです。教育の未来を語る人の口から、このような心の狭い発言、人が人を選ぶような発言がされたとしたら、批判する側からしたら絶好のチャンスでしかないでしょう。これはもう「ごっつあんゴール」も同然です。

 そして、そんなアンチとの闘いで完全に冷静さを失ったやまゆうさんを見て、奥様がストップをかけたのであります。その時のツイートがこちら。

 いや、これは皮肉でもなんでもなく、素晴らしい奥様だと思います。しかし、こんなツイートをしたら絶対にいけません。このツイートで間接的に奥様まで、アンチとの闘いに参戦したことになってしまうではないですか。

 せめて「ネチネチした人」がもっと無難な言い回しであれば良いのですが、中にはこの言葉に過剰に反応して、今度は何の罪もない奥様に対して誹謗中傷を寄せる人がいてもおかしくはないですよね。

 ということで、差し出がましいのは承知の上で、やまゆうさんにその旨をお伝えしました。

 そうしたところ、ほどなくしてやまゆうさんご本人から「いいね」を頂戴しましたので、私の中ではやまゆうさんは「良い界隈民」という認識でファイナルアンサー(単純だな、オイ)。

 炎上しそうになった時は、中途半端が一番よくありません。逃げるなら徹底的に逃げる。悔しくても反論しない、アンチに言及しないを徹底する。逆に迎え撃つなら極めて冷静に「情」ではなく「理」を持って対峙する。どちらを選ぶのかは、あなた自身のパーソナリティ次第です。

 では健全なツイッターライフを(…って、どっかで聞いたような)。