警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜4〜

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■自分の発信の質を棚に上げてるという話
実際のところぼくらブロガー界隈が批判されるのも仕方がない部分もあるとは思っている。

※「界隈」という言葉も一部でのみ通用するネットスラングだ。使うからには定義の確認が必要な言葉だろう。小見出しも工夫が足りていない、というか意味不明。

「■「批判」されるのが嫌だと言うつもりはない
だが、実際のところ僕たちブロガー(アンチは「界隈」と呼ぶ)が批判されるのも仕方ない面もある。」

ぶっちゃけ言えば、昨今「ツイッターのフォロワー増やすぜ!!うえいうえい!」みたいな連中は僕を含めてたくさんTwitter界隈でにぎわうようになってきてるし、ぼくは別にそうは思わないが汚い手法で情報商材を売って金を儲けている悪い奴らという見方もあるだろう。

※なぜ界隈が批判されても仕方ないのか。界隈が反省すべき点を挙げているわけなので、その最中に「ぼくは別にそうは思わないが」などと挟むのはちょっと小ズルいし、なにより読んでいてややこしい。「情報商材」が具体的には何なのかも明確にしておくと良い。

「このところ『ツイッターのフォロワーを増やそう!』というムーブメントが活発になっており、「フォロワーの増やし方」を書いた有料noteが山のように売りに出されている。そんな様子を見る人が見れば「情報商材ビジネスに手を染めて調子に乗っている」と映ってしまうのかも知れない。」

まして、特に実績を出したわけでもない若造が、フォロワーだけ増やしてわかったようなことを吹聴し、それに対して盲目的に賛同する人たちがいると言う図式に不快感を覚えるというのがアンチの大半を占めると思っている。実際にこれはわかる部分もある。

※ここは前のパラグラフをさらに補足する箇所なので、そこを意識して書き直したい。「実績」についてはネット上でのそれではなく、実社会の実績であることも明記しておくと良いだろう。後半に出てくる「図式」は、先に出た「構図」で統一しておきたい。

「つまり、実社会では大した実績もない若僧どもが、ツイッターのフォロワーが増えたぐらいでわかったような口をきき、しかも一部から称賛までされているという構図に、アンチは不快感を覚えるのだろう。」

実力がないものが、目立ってしまう。目立つために頑張って身の丈に合わない発言をするケースも多い。空虚で本末転倒に感じる人も多いのだろう。

※「空虚で本末転倒に映る」ぐらいでは、アンチから執拗に攻撃される理由としては弱い気がする。むしろ、ハッタリを効かせすぎたあまり、失言・暴言になってしまったというケースを示したほうが、「叩かれて当然」という感じは出るというものだ(実際、そっちのパターンのほうが多いような気も)。

「中には実力がないのに、目立ちたいがために身の丈に合わない発言をする人もいる。そういう発言は往々にして暴言になりやすい。

また僕らの周りに限らず、世間一般で見ても、有名人やインフルエンサーで法律やモラルに違反する行為がないとは言わない。

※「界隈」の話をしていたのに、突然、有名人やインフルエンサーの話に飛ぶのは飛躍しすぎな気がする。前パラグラフからの流れを受けて、「界隈」がより反省すべきケースすらある、と展開したほうが良い。

「また、暴言や失言レベルの失敗だけでなく、僕たちブロガー界隈の中にもモラルに欠ける人や、法を犯す人がまったくいないわけでもない。」

だから、ネット上でクソリプや否定意見を飛ばすこと自体は別に自然なことだと思っているし、やめて欲しいわけでもない。しかし、じゃあそれを全て容認するのかと言うと、またそういうわけでもない。というか容認はするけど、その批判する意味を今一度考えて欲しいと思っている。そう思わざるを得ないくらい、質の低い批判が多いからだ。

※「クソリプ」も定義が定まっていない言葉で、この場合「批判」と混同している節すらある。ここは明確に区別しておかねばならない。また、全体を通じて、批判を認める、認めないの繰り返しが過剰演出になっている箇所はスリム化しておきたい。

「だから、ネット上で他人を批判すること自体は、決していけないことではない。一切やめて欲しいと願っているわけでもない。
ただ、他人を批判する際には『その意義』はきちんと考えて欲しいと思う。
僕なんかがそう言わざるを得ないぐらい、ネット上には『批判』の名を借りた単なる『誹謗中傷』が多いのだから。」

〜つづく(とは思いたい)〜

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜3〜

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■ネットモラルの低さと人の本質を感じた一年
この一年、発信活動をしてきてネット業界のモラルの低さはかなり感じてきた。要するに僕の周りに限らず、総括してネットで他人を攻撃する人間というのは、自分の顔が相手にわからない、自分が怪我する恐れがない時に現れる。
ここに人の本質というか、汚さを感じた一年だった。

※「発信活動」「ネット業界」といった、自分にだけわかる造語チックな表現が目立つので、そのあたりは一般的な言葉に置き換えたい。言葉の間違った使い方も目につく。「1年」と「一年」の表記が混在しているので、全文を通して「1年」で統一したい。「要するに〜」以降の文章はかなり分かりづらいので、想像力で補ってみる。

「■ネット上のモラルの低さを痛感した1年
この1年、ブロガーとして活動してきて感じたのは、ネット上のモラルは相当に低いということ。ネットは匿名性が高い場なので、自分の正体が相手にばれにくく、他人を攻撃する人間にとって非常に都合がよい「安全地帯」だからだ。
そこに人の残酷さというか、卑しさみたいなものを感じた。」

お互いに認識し合っている時に、本人にわかるように個人を攻撃するというのはけっこう稀な例だ。

※ここでは、前パラグラフの「ネット上」に対し、「現実社会」では相手を直接批判するには対面する必要があるので、アンチは行動しづらいと述べているが、この先への展開を遮断している印象があるので、いっそ全削除する。

そして、そういうずるい一面を持ちながら、インフルエンサーという強者(あるいは悪者)に対して弱者が物を申す!という構図であるという認識がアンチの中で一般化していることにも違和感を感じた。

※「そういうずるい一面」とは、匿名で安全地帯から他人を攻撃するということなので、直前のパラグラフは削除したほうが繋がりやすい。ここで言いたいのは、「アンチは卑怯な存在にもかかわらず、自分たちの行為が正当な行為であると思いこんでいる矛盾」とその批判なので、よりわかりやすい構図を意識する。

「そんなずるい一面を持ちつつも、ネット上でアンチは常に「弱者の代弁者」であり、影響力を持った人間の間違った言動に「物申す!」という構図が出来がっていた。いや、それはあくまで彼らの頭の中だけの話だが、アンチが醸し出す歪んだ正義感には違和感を禁じ得なかった。」

批判している本人にはたいして悪気はなく、正しいことをしている、的を得たことを言っているつもりであること。そんな自分に酔っているということと、その自覚がないこと。そういうのをパソコンや携帯の画面越しにひしひしと感じてきた。

※前のパラグラフで語ったアンチの作り上げた「構図」をより具体的に説明する箇所である。だが、アンチに「悪気はなく」と著者が認めているような記述には、本論と趣旨に鑑みて違和感があるので、そこは訂正しておきたい(「悪気がない」のはあくまでアンチ側の言い分や勘違いなので)。

「例えば、他人を攻撃している時のアンチには、悪いことをしているという意識はまったくない。むしろ、正しいことをしている、的を得た批判をしているつもりなのだ。他人を攻撃している自覚もなく、それどころか自分の姿に酔いしれてさえいる。そういう人をパソコンやスマホの画面越しにたくさん見てきたものだ。」

そのことを、できるだけ噛み砕いてこの記事で解説していこうと思う。
特定のアカウントに対して、異常なまでに粘着したり、他人の粗探しに精を出し続ける人たちはそこまで多くはないものの、ネットには一定数存在する。
そしてこういう人種に対して、多くの人たちが、あまりちゃんと言及していない。
だから、炎上ブロガーイケハヤの弟子としては、はっきり記事にまとめておかねばと思った次第だ(半分冗談w)
基本僕は、アンチとブロガー界隈に関しては中立的な意見しか出していないと思うし、あんまり喧嘩売ったりもしないのだけど、今回は少し挑戦的に話を進めていこうと思っている。
では、ちょっと長くなったけど、前置きはここまで。
ここからが本題。

※前にもあったが、既に本題には入っているので、これらの箇所は読み味を大きく損ねるので、思い切って全削除したいと思う。

〜つづく(かもしれぬ)〜

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜2〜

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■『アンチ=クソリプマン』?
先に、誤解をまねかないために前提を少しだけ。

※ 小見出しは、端的でありわかりやすいものが良いし、以下に書く内容との連動性も重視したいので、この小見出しは適切とは言えないだろう。

「■ まずは「アンチ」の定義から
本題に入る前に、混乱を招かないように「アンチ」の定義を確認しておきたい。

ネット上でよく勘違いしている人が多いんだが、アンチの正確な言葉の意味としては「アンチ=クソリプ飛ばしマン」ではない。

※ネット上での「アンチ」の定義には後でしっかり語るわけなので、本来の「アンチ」の意味を語る前にそこに触れるのは無意味。このパラグラフは全文削除で構わないだろう。

アンチはアンチテーゼの略で、正確な意味では要するに反対意見のことや反対意見を持つ人のことを言う。みんなが同じ考えでない以上、誰かのアンチが存在することはいたって普通のことだ。

※「正確な意味では」と「要するに」はニュアンスが重複している印象を受ける。アンチテーゼの正確な意味については、辞書などからそのまま引用するほうがよいだろう。また「アンチ」の定義が定まっていない段階で「アンチ」という語を同じパラグラフで使うのは避けたい。

「そもそも『アンチ』とは、ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張といった意味を持つ『アンチテーゼ』という言葉を略したもので、自分とは異なる主義・主張を持つ人のことを指す。世の中のみんなが同じ考えではない以上、誰にだってアンチは存在する。」

※※
そもそも「アンチ」の語源が「アンチテーゼ」から着来ているのかどうなのかは不明なのだが、個人的には下記の説のほうが有力ではないかと思うので、参考までに付記しておく。

「『アンチ』とは、「反対」「対抗」「違背」を表す接頭語だが、特定の個人・団体・企業・製品などを嫌う者、反発する者を指す和製英語として使われることが多い。世の中にはさまざまな考えの持ち主がいるので、どんな人にでもアンチがいると言っても過言ではない。」

ただ、実際の認識は少し違う。ネット上に浸透し、『アンチ』という言葉に対してのみんなの認識はクソリプ飛ばしマン、熱心にアンチ活動に勤しんでいる人たちを指している。特定の人が嫌いだからその人に粘着してずっと野次を飛ばしたり、ただ単に批判したいから片っ端から人の悪口を言ったり、誰かの批判記事を書いたり、ユーチューブ動画のバッドボタンを押して回る人たちのことだ。

※ここで語るのは「実際の認識」ではなくて、「ネット上での認識」なので、混乱しないように文頭は整理しておきたい。「クソリプ飛ばしマン」という造語はセンスもないし、読み味も悪いので削除したい。アンチの実例に関しても、重複がないように整理しておく。

「ただ、ネットでの認識は少し異なっている。ネット上で『アンチ』と言えば、特定の人に粘着してずっと野次を飛ばす人だったり、いろんな人に片っ端から議論を吹っかけるような人だったり、誰かの悪口をブログに書くのが好きな人だったり、YouTubeの動画をろくに見ないまま低評価ボタンを押して回る人だったり。とにかくまあ、迷惑な人たちのこと。」

で、この記事の上で「アンチ」という言葉を使うときはそこを指すことにする。

※特に問題はないが、微調整をいくつか施す。

「この記事では、原則として『アンチ』は、ネット上の『アンチ』を指すことにする。」

だから、「反対意見を持つ人をバカだとかいうのは間違ってる」とか「なんでもアンチと決めつけるな!」とかいう的外れな毎度ながらの批判をするのは避けてほしい。

※直前での「アンチ」の定義と「なんでもアンチと決めつけるな!」という批判が噛み合っていない印象なので、そこは整理しておきたい。また「毎度ながらの」という言葉は若干唐突な印象を受けるので削除する。「批判」という言葉も、定義がしっかりしてないと誤解の元になるので、ここはより適切な「抗議」という言葉に置き換える。

「だから、『反対意見を持つ人をバカだというのは間違ってる』とか『まっとうな批判をするアンチだっている』などといった的外れな抗議をするのは遠慮してもらいたい。

さて、前置きが長くなってもうしわけないが、結局のところ何を今回話したいのかというと、アンチが批判することを楽しんでいる事実について掘り下げて考えてみたことを共有したいと思っている。

※「前置き」は既に終わっているはずなので、このパラグラフ自体は全くもって無用。よって全削除したい。

この記事を書いた動機については最後にお伝えするが、ネット上で自分を嫌いな人が自分を叩いたりバカにしたりしてくるという経験をしたことを通して、アンチという人間の性質について多少興味を持ち、その中で気付いた持論を展開するというのがこの記事の趣旨だ。

※「最後にお伝えする」というのであれば、敢えて冒頭で触れる必要もないし、執筆の動機も軽くではあるが既に触れられた話題なので、このパラグラフも全削除とする。

まあ、わりと堅苦しいかもしれないw
興味ある人は読んでくれたら嬉しい。

※上の2つも同様に、読み味を損ねるだけでしかないので削除する。

 

〜つづく(かもしれない)〜

アンチが『「アンチ」が総じてバカである理由。』を添削してみる 〜1〜

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 ということで、大塚です。最近はnoteのほうに浮気をしていたため、こちらの「会員制クラブ」の営業が疎かになっており、一部の愛好家の方々には大変申し訳なく思っております。

 さて、今回はそんな不義理に対する懺悔…というわけでもないのですが、先日話題となった、あのキック氏の「アンチに喧嘩売るnote」の添削にチャレンジしてみたいと思います。

 1万5000字以上のボリュームもさることながら、先に進めば進むほどに乱れてゆく文章と筆者の心ーー。アンチの大半の人たちが途中で読むのを投げ出したという難物は、実は私も斜め読みしかしておりません。

 添削ですから、大前提として論旨は変えないことを心がけます。しかし、一部の微妙な表現や言葉の定義などは、必要に応じて意訳をさせてもらおうと思っています(特に「批判」という単語の定義がころころと変わるので、そのあたりはきちんと交通整理をしなければ……)。

 ということで、当然のごとく長文必至の本エントリなので、各パラグラフごとに作業していくことにします。今回はその1回目ということで、冒頭の前置きの添削にレッツ・トライ♪

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さっそく挑発的なタイトルでみなさんのクリックを誘って申し訳ない笑

 ※書き出しの箇所で気にしたいのは、「みなさん」が誰を指すのかということ。「挑発的な」と言うからには、「みなさん」とはアンチのことのように思えるが、かと言ってアンチのみに書いたテキストだとも思いづらい。「みなさん」が文字通り読者全般を指すのであれば、「挑発的な」ではなく「刺激の強い」などの語に置き換えたいところだ。ここでは「みなさん=読者全般」と解釈してこう書き直す(そのほかにも句読点の打ち方なども微修正)。

 「刺激の強いタイトルで、みなさんのクリックを誘う形で申し訳ない(笑)。」

が、今回は特別にちょっと言いたいこともあって、その内容に一番沿ったタイトルにした。

※言葉としての意味は十分に通じるのだが、「特別に」「ちょっと」という箇所はニュアンスが重複している感がある。ここは「刺激の強いタイトルにした理由」を記した文なので、文末はそれを受ける形で締めたいと思う。

「ちょっと言いたいことがあって、それに一番ふさわしいタイトルを選んだところ、こうなってしまった。」

僕は昨年の5月。脱サラをして、著名ブロガーのイケダハヤトさんという方のもとで、ブログを軸に発信を始めた。

※文頭で情報が複雑に入り組んでいる印象を受けるので、ちょっと交通整理をして読みやすくしたい。「イケダハヤトさんという方」という言い回しもややくどい。「発信」という単語は、あの界隈独特の言い回しで、まだ世間にも浸透しているとは言い難い。より一般的な言葉に置き換えたほうが親切だろう。

「僕は会社を辞めた昨年の5月から、著名なブロガーのイケダハヤトさんの書生として、ブロガーとしての活動を始めた。」

そして1年間今日まで、毎日ツイッターやブログを中心に発信してきた。

※こちらも文頭の交通整理を行いたい。ほかにも、前段で「ブロガーとしての活動を始めた」と書き換えたので、ツイッターとブログの位置関係を入れ替えておきたい。

「そして今日まで1年間、ほぼ毎日、ブログやツイッターを中心に情報を発信してきた。」

もともとは世界一周を家族でするために始めたのだが、そこで、ネットのアンチたちに囲まれる経験をした。ネット上で熱心に自分の批判をする人間と1年間なんだかんだ関わったりしてきたのだ。直接会ったりもした。

※「もともとは世界一周を家族でするために始めたのだが、」という文頭が唐突すぎて、これまでの読み味を大きく損なっているように思える。さして必要な情報とは思えないので、ここは思い切って削除したい。「自分」という一人称が出てきたが、本稿では初出の「僕」で統一することにしたい。

「その活動の中で「アンチ」と呼ばれる人たちと遭遇した。ネットを通じて熱心に僕を批判する人たちと、1年間なんだかんだと関わり続けてきたのだ。中には直接会った人もいる。」

 

 その中で、僕自身が感じたことをここにまとめておこうと思う。アンチが好きというわけではないのだが、興味を持ってわりと接してきたように思うので、その記録という感じだ。

※致命的な問題は見当たらない箇所だが、前のパラグラフの書き出しが「その活動の中で〜」となり、本パラグラフの書き出しと被るので、そこをちょっと調整したい。

「この記事では、僕がアンチについて感じたことをまとめてみた。「アンチが好き」なんてことはないけれど、わりと興味を持って接してきたのも確かだ。「アンチの観察記録」みたいな感覚で読んでほしい。

ネット上で発信する限り、必ず一人は現れるんじゃないかというクソリプを飛ばす人たちについて、話していこうと思う。

※「発信」という言葉をここでも別のわかりやすい言葉に置き換えるのをメインに微調整を入れたい。ただし、前パラグラフで既に「前置きは終了」っぽいまとめ方をしているので、このパラグラフはそもそも必要ないのかも知れない……。

「ブログやツイッターで情報を発信する以上、必ず出現する「クソリプ」を投げる人たち。彼は僕の目にどのように映っていたのだろうーー。

 

〜つづく(といいなぁ)〜

思ったことを口にする感覚でツイートすると、あら不思議エニグマ顔負けの暗号文ができあがり!

             

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 今宵は久しぶりにブログなど書いてみんとす。大塚でございます!

 最近はウォッチ対象であった界隈民どもが、フェイドアウト気味になったり、私のことをブロックしたりということもあって、活動が停滞気味になっておりました本ブログ。久しぶりの更新は、やはりあの方のご登場と相成りました。ご存じ、イケハヤ書生のキック氏でございます(拍手ゥ〜〜!!!)。

 今ではフォロワー数も1万3000人を超え、あのサンクチュアリ出版でトークイベントまで行った、界隈でも注目度の高いインフルエンサーのキック氏。しかし、このところ私のフォロワーさんから、「キック氏のツイートが何を言ってるのかわからない」という問い合わせが続出しておりましてね。ま、キック氏とは縁もゆかりもない私に問い合わせをされても困るんですけど、せっかくの機会なのでみなさんと一緒に解読していくことにいたしましょう。ということでェ〜、レッツ・ビギン♪(←これ出ると長文の合図ね)

 まずはこれから解読していきましょう。パッと流し読みすると、おそらくは「賢い人ってどんな人か?」ということを言っているのかなぁ、と。

 わかりづらさの原因は、個々の単語の意味を深く考えることなく、感覚で使ってしまったところにあるのではないでしょうか。そもそも人間力なんて語の定義は人によってさまざまだし、「"賢さ"的な要素」に至っては日本語の体をなしていませんけどね。

「行動と言動」「省みると反省」というように、似たような意味の語も意図的に使い分けている様子もなく単純に繰り返しているだけで、ちょっとカッコ悪いですよね〜。

 界隈の人たちって、どうしてこうも自分の語彙力を過信するのでしょう? わかってるつもりの言葉ほど、辞書で意味を確認する作業は重要だと思いますけどね、私は。

 ということで、上のツイートの言葉を整頓すると次のようになります。

 

「賢い人」って、学力が高い人なんかじゃなくて、『自分を客観視できる人』だと思う。今は完璧な人間でなくても、自分の言動を客観視できれば、反省することで成長につなげることができる。逆に主観だけで生きてる人は、完全無欠の天才でもない限り「イタいやつ」になる。

 

"賢さ"的な要素」というのは、シンプルに「賢い人」に置き換え、文頭に持ってくることで、ツイートの主題をより明確にさせてみました。人間力に関しては、受け取り手により解釈の幅が広すぎなのでここは思い切って削除。「学力」一本に絞ることで、よりわかりやすい文になったのではないかと思います。

 後は「行動と言動」、「省みると反省」の重複した語を一つにまとめ、ツイート全体をコンパクトに。最後の「進化」については、ここでは意味的に少し大げさ過ぎる語なので、「成長」というより身近な意味の語に置き換えてみました。

 天才の前にあえて「完全無欠の」と入れたのは、冒頭で「『賢い人』って、学力が高い人なんかじゃなくて」と、学力の高さ(=天才)を否定しているからです。原文ママ「主観だけで生きてる人は天才でもない限りかなり『イタイやつ』になる」だと、読む側の中には「なんだ、やっぱり学力が高い人が賢いんじゃないか!」と言いたくなる人がいそうですよね(私みたいな人、です)。

 ですから、「単に学力の高い人ではなく、反省の必要も、成長の余地もない天才のみが、主観的に生きることを許される」というニュアンスの文章にすることで、「だから、やっぱり自分を客観視することは大事」と、結果的に論旨を強調するのが狙いです。

※もちろん「天才」という語には、「あらゆる能力が高い完全無欠な人物」というニュアンスもあるのは承知しています。しかし、より誤解を生まない理解しやすい文章に仕上げるためのひと工夫みたいなもの、と思っていただければ。

 

 ということで、まず一つ片付きました。では、お次はこのツイート。

 先ほど同様に、まずは「何を言いたいのか」から汲み取っていくことにしましょう。そうすると、このツイートには先ほどのツイートには無かった欠陥があることに気づくはずです。

 それは何かと言うと、このツイートには言いたいことが2つあるのです。一つは「物欲がない人が成功しやすいのは消費ではなく投資をするから」そして、もう一つが「ストレスは消費(浪費)を増やすので、楽しいことを仕事にすべきだ」というもの。

 いずれも「消費と投資の違い」というくくりで語ってはいますが、これら2つの主題に因果関係はあまりありません。ですから、その2つの要素の「つなぎ」が重要になってくると思います。原文はそこを疎かにしているので、難解な文章になっているのだと見ました。

 その欠陥を踏まえた上で、書き直したのが次の文章になります。

 

物欲がない人は成功しやすいと言われるのは、お金を単なる消費ではなく自己への投資に回しやすいからだと思う。そう考えると、物欲がある人でもストレスを減らし、ストレス解消のための消費が減らせれば、その分を自己投資に回す余裕ができる。だから「楽しいことを仕事にしよう」って言われてるのね。

 

 ポイントは、後半を「物欲がある人」の話にしたこと。そうすることで、「楽しいことを仕事にしよう」という2つ目の主題にスムーズにつながったと思います。物欲がない人は、そもそも仕事上のストレスがあったとしても自己投資にお金を回しやすいタイプなので、「楽しいことを仕事にする」必然性がさほどありません。

 また、原文ではストレスをすべて「仕事上のストレス」と定義づけていますが、そうすることで文章が冗長になっている印象を受けました。そこで、ストレスはストレスのままにしておき、削減すべき(しやすい?)ストレスを「仕事上のストレス」と定義することで、よりシンプルな文章に仕上げてみました(まあ、それでも読みづらいのは認めましょう……。んー、これはもう140字の限界なのかなぁ〜)。

 

 最後は(まだあんのかよ!)このツイートです。なんか、どんどん難易度が上がっているのは気のせいでしょうか……? 

 また、お金の話ですか……。でもまあ、この人って貯金ブロガーという一面も持ってますから、お金の話題が多くなるのは仕方ないですね。で、このツイートでは何が言いたいのかというと……。

      うーん、ちょっとわからない

 …っていうか、このツイートってよく見るとワンセンテンスなんですね? 悪文の典型みたいなツイートですが、まずは文章全体を分解して、構造やパーツを確認してみるましょう。

  • お金が欲しい!という欲求は誰しも持っている自然な感情
  • それを放棄する風な人が多いのは、単に無欲というわけではなく
  • お金を得ることが容易ではないということを正当化するために
  • 「お金は汚い。持ちすぎは良くない」
  • 自分が都合のいいように解釈する脳の自己催眠にすぎない。

 まず、冒頭の一文は考え方はさておき、文章としては理解は可能です。つまりは「金銭欲とは、誰もが持っている自然な感情である」ということですよね。次も「それ(金銭欲)を放棄する風な人」の解釈に少し骨が折れるものの、「金銭欲がないと語る人は多いが、(彼らは)単に無欲というわけではなく」でいいでしょう。前半部分だけで見れば

「金銭欲とは、誰もが持っている自然な感情である。だが、それが無いと言うひとが意外に多い。しかし、彼らは単に無欲というわけではない」

 という読み解けますね。

 問題は後半のほうです。「お金を得ることが容易ではないということを正当化する」とはどういうことなのか? もっとわかりやすく書き直せば「お金を稼ぐのは難しいということを正当化する」とでもいえばよいでしょうか。

正当化」という語もそうですが、次の文にある「自分に都合のいいように」という語から、「お金を稼ぐのは難しい」というのは一般論というわけでもなく「それ(金銭欲)を放棄する風な人」に限った話であることが見えてきます。

 要するに、キック氏は「お金を得ることが容易ではないということを正当化する」という一文で「無欲を装うのは、稼げない自分を正当化する方便だ(ドーン!)」と、無気力なニートを喝破しているわけです。さすがです、ガーサスです!

 そして、その論拠となるのが四番目の鍵括弧にある彼らの決まり文句、なのでしょう。でも、「お金は汚い。持ちすぎは良くない」なんて言う人ってホントにいるんでしょうか? ま、ここはなんとなく「儲けに走るのは見苦しい」ぐらいのニュアンスかな〜って、サラッと流しておきます。

 で、これらの解釈をつなげてみると、次のようになりました。

 

金銭欲とは、誰もが持っている自然な感情だが、それが無いと言う人が意外に多い。しかし、彼らは無欲というわけではない。その証拠に口を揃えて『儲けに走るのは見苦しい』と稼いでいる人を批判する。稼げない自分を正当化させるための身勝手な自己催眠で、無欲なフリをしているだけだ。

 

 ポイントは原文の「お金は汚い。持ちすぎは良くない」は、誰に言っている言葉なのかを明確にしたことです。脳が云々というのは、140字では話がややこしくなるので割愛しましたが、「脳からの自己催眠」というキャッチーな語を中心に据えたいのなら、次のような解釈もアリなのかもしれません。ただし、「脳からの自己催眠」というのはちょっと変な日本語なので、少しだけアレンジを加えてみます。

 

金銭欲という自然な感情を否定する人が案外多い。彼らは口を揃えて『儲けすぎるのは悪だ!』と、稼いでいる人を批判する。でも、彼らって無欲な人たちってわけでもない。稼げない自分を正当化するために脳が発する催眠術にかかってるだけの、かわいそうな人たちだよ。

 

 この違いは、無欲だという人が「意識的に無欲を装っている(自己催眠というか自己暗示)」のか「ガチで自己催眠にかかっている」のかですが、キック氏の意図はおそらく後者のほうにあるんじゃないでしょうかね。だって、キック氏って性格悪そうだしィ〜。

 と、最後で盛大にブーメランをぶん投げて、今宵の言葉遊びはここまでにいたしとうございます〜。

※誤字・脱字、および文章の乱れが多々あると思いますので、ひとまずは公開いたしますが適宜、校正作業を行います。発売前の「プロトタイプ」ぐらいの感覚でお読みいただけますと幸いです(今ごろ言うな!)。

※2019年2月20日 AM0:50  改訂第二版

※2019年2月20日 AM2:00  改訂第三版

※2019年2月20日 PM6:00  改訂第四版

がんそん師匠の恋愛観を読み解いてみるという不毛作業……

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 平成最後の最初の大塚でございます(意味不明)。さて、2019年は早々に界隈の大きな釣り針にひっかかり「およげたいやきくん」のエンディング状態でした(さらに意味不明)。というわけで、まだまだテンション低めではありますが、久しぶりにブログを更新してみたいと思います。テーマはこのツイートの解釈についてーー

  ツイートの主は、今をときめく界隈の風雲児こと「がんそん」師匠。このブログにたどり着くような数寄者、いや物好きのみなさんは既にご存知でしょうから、詳しくは紹介しません。個人的に師匠のピークは「語弊力」あたりで、最近は飽きてしまってウォッチの対象からもはずしていたのですが、久しぶりに面白いネタをぶっこんでくださいました(感謝)。

 このツイート、界隈の内外でいろいろ物議を醸しておりましたが、ここから見えてくる、がんそん師匠の恋愛観って一体どういうものなんでしょう? リプ欄でもいろいろと議論がなされているようですが、まだ明確な結論には至っていない模様。では、お節介なのは承知の上で、私がこのツイートを読み解いてみようと思います。

 まず考えるべきは、がんそん師匠は「どうして彼女がほしいのか」ということ。恋愛したいという動機の部分です。そこを知らねば先には進めません。で、その件について、師匠はリプ欄でこのように語っておられます。

  さすが師匠、「承認欲求でしょうね」とは、のっけから意味不明な回答です。しかし、なんとなく「彼女がいないのは格好悪い」から、なのではないかと推察します(私なんか、周囲に気になる存在がいなければ、無理して彼女とか作ろうとは思わない質なのですが、やはり界隈の方とは考えかたが異なるようですね)。

 まあ、界隈で今いちばんホットな男ですから、彼女を募集すればよりどりみどりの五月みどりなのは間違いないとは思うのですが、がんそん師匠には「日本のフィットネス人口を増やす」という譲れない夢がございます(みんな、覚えてる?)。その夢に邁進するためには、女などにうつつを抜かすわけにはいかないのです。「仕事にも支障が出て、相手も不満が溜まる」と言う通り、仕事も恋愛も中途半端はよろしくありません、そこは私もわかります。

 そこで妥協案として師匠の脳裏に浮かんだのが「セフレ」という存在。でも、どうして「セフレ」なのでしょう? 先の発言に照らしてみると「セフレであれば彼女ほど時間を割かずに済むから」ということなのでしょうか。でも、別に「ガールフレンド」でも、彼女ほど時間を割かずに済むのでは?(師匠が人並み外れた早漏だからセフレのほうが短時間で済むという可能性もありますが、であればそこは回数でカバーしそうなタイプだと推察します)

 要するに、がんそん師匠にとっては「精神的な癒し」よりも「肉体的な癒し」のほうが優先順位が高いのでしょう。あるいは「セックスが許されない男女関係はステイタスが低い」とでも言えばよいのか。ま、いずれにせよ、セフレのほうが女友達よりブランド力が高いというわけです(なるほど「ブランド人」のことだったのか、いや違うな…)。

 にもかかわらず、師匠は「セフレは作りたくないからどうしよう」とおっしゃるわけですよ。まるで、自分が望めばセフレぐらいは簡単に作れそうな物言いですが、そこは本題とは関係ない突っ込みどころなので割愛します。

 がんそん師匠は彼女は欲しいけど、彼女は面倒だし、セフレはポリシーに反するし、でも女友達には魅力を感じないのだそうですよ。「お前、何を言ってんだ」って感じですが、そうなると、当然こんな意見がリプ欄に寄せられます。まさしく火の玉ストレートです。

 ここからが、がんそん師匠の真骨頂なのですが、この剛速球な問いかけに対して、明朗かつ爽やかにこう答えるのです。「柔よく剛を制す」とはまさにこのことか。

 自分は弟子に高級ソープなみの上納金(7万円)を要求しておきながら、自分は高級ソープのお代がもったいないと言い放つこの矛盾。あ、いやでも、確かにお金は大事ですからね(一度行ってしまったら確実にハマるという自覚もあるのでしょう)。

 このやりとりで、性欲の発散自体は否定していないことから、なんだかんだ言いつつも、やはりセックスはしたい模様ですね。また、セフレと風俗についてはこのような発言も見られました。

  だぁ〜ら、その理由を具体的に言えっつってんだよ、このギョロ目フリーランスがあっ! あ、いや……、そうではなくて、この発言の意図を読み解くんですよね……冷静に、冷静に(深呼吸)。

 おそらくセフレも風俗もイヤな理由はこうだと思うのです、ズバリ「後ろめたい」から。顔に似合わず案外とマジメなんですね、彼。でも、その後ろめたさは微妙に異なっていて、セフレの場合は「セックスに愛がない」ことからくる後ろめたさが原因。いくら表面上では合意の上とはいえ、相手の女性の心情を100%理解することは不可能です。場合によっては、相手を傷つけてしまう可能性だってありますからね(ジェントルだぜ師匠!)。

 風俗の場合は相手がプロですから、同じ愛がないセックスでも100%の合意形成はなされていると解釈も出来ます。しかし今度は「お金で女性を買う」行為からくる後ろめたさを感じるのではないかと思うわけです。それにいくらお金を出しても、100%満足いく相手とのセックスが保証されるわけじゃないですしね(贅沢言ってんじゃねーぞ、師匠!)。

 で、もう面倒臭くなったので、最終的に次のようにまとめてみました。

  • 自分の虚栄心を満たすために彼女という存在が欲しい
  • だが、今は彼女にうつつを抜かすほどの時間的余裕がない
  • セフレかGFかなら迷わずセフレだが道徳心に反する
  • 風俗はセックスに金銭が介在することで経済的かつ精神的負担を感じる

結論 「誰か風俗を奢ってください」 

もうね、食欲だけじゃなくて性欲もpolcaでどうにかしときなさいよ……。

  最後にこっそりマジレスすると、師匠のあのツイートはフォロワーに食いつきの良い話題を投げておいて、誰かがしっくり来る答えを出してくれるのを待ってるだけのアリジゴク戦法っぽい気もするのですが……。

コンビニのコーヒーも牛丼チェーンの牛丼も無縁の人間にはワケワカメな界隈ツイートを考察してみたよ

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 どうも、サラリーマンが副業の大塚です! え、じゃあ本業は何だって? そりゃあもちろん、twitter上で跳梁跋扈するフリーランス界隈の、極めて難解な日本語を読み解く作業がソレですよ。

 ということで、今回も例によってはま寿司さんからのご依頼で、次のようなツイートを読み解いていきたいと思います。

 

 

 発言の主は、こーせい氏といって現在絶賛売出し中のフリーランスの方。彼のことは私もウォッチしているのですが、非常に読書家であり、行動力あり、知識も豊富な若者で、将来が楽しみな逸材と言えます。

 さて、そんな彼がこの難読ツイートで発信したかったことは、一体どんな思いだったのでしょう? まずは、そのツイートの動機を紐解くところから始めてみたいと思います。そのヒントは冒頭の一文にあります。

ツイッターで発信している人、インフルエンサーと内容かぶってるで!」

 この一文は、カギカッコで括られているところから、第三者の発言の引用だということが一目瞭然。つまり、当該のツイートはこのカギカッコ内の発言に対する彼なりの意見(おそらくは反論)だと解釈できますね。

 ツイートの動機は自分たちへの批判に対する反論だということがわかりました。では、カギカッコ内の文章をもう少し深掘りしてみます。ツイッターで発信している人、とはいったいどんな人のことを指すのか。厳密に言えばインフルエンサーツイッターで発信している人ですけれど、どうやらインフルエンサーは含まれないようです。

 文脈からすると、インフルエンサー未満のtwitterユーザーであり、なおかつ発言内容がインフルエンサーに酷似している人だと推定できますので、ここは所謂「界隈のワナビー層」と解釈するのが妥当でしょう。自分たちへの批判に対しての反論ですから、当のこーせい氏もこの中に含まれるます。となると「駆け出しフリーランスぐらいに変換しておくと、より意味が通りやすいでしょうね(ご本人は、もう駆け出しの域を抜けたと思われているかも知れませんが、その場合は失礼をお詫びいたします)。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」

 カギカッコ内の発言の主は、おそらくは界隈アンチ勢だと思われますので、もう少し厳しめの言葉を使って、最初の一文は上のように書き直してみました。次の文章はわりにシンプルなので、添削せずにそのまま繋げてみましょう。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、コンビニコーヒーと牛丼を一切飲み食いしないで欲しい。

 このような文章が完成しました。文法的には十分に成立していると言えるでしょう。しかし、このままでは、どうして「コンビニコーヒーと牛丼を飲み食いしてはいけないのか」が、全く理解できません。

 これについては、当該のツイートだけでは判断しかねるのですが、リプ欄でフォロワーの方との次のようなやりとりを発見しました。 

 

 コンビニコーヒーや牛丼が「パクリの例え」とはどういう意味でしょう。コンビニコーヒーで言えば、おそらくスタバやタリーズインフルエンサーと位置づけ、対する界隈ワナビー「後発でドリップコーヒーを取り使い始めた」コンビニと位置づけていると考えられます。

 牛丼に関しても、おそらくヒット商品や人気サービスを業界内ですぐに真似し合う外食産業の事情を指しているのでしょう。つまり「牛丼とコンビニコーヒー」は後発(パクリ)ビジネスの成功事例なわけですね。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスをパクっただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。

 どうでしょうか? 一気に点が線になった気がしますよね(牛丼に関しては、パクり、パクられの関係性が双方向でややこしいので思い切って削除してみました)。

 そしていよいよ、最後のパートになるわけです。

この世の中にあふれている根本的な考えは割とシンプルなので、同じようなことを言ってても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 一見すると、文章として破綻していないように思えますが、これ結構むずかしい構造になっていますよ。なぜかといえば「根本的な考え」「割とシンプル」であるにもかかわらず、「同じようなこと」を言っても「重みが違う」というのですから。

 原因は、センテンスを「なので」という語でストレートに繋いでしまったことにあると考えます。おそらく彼が言いたかったのは、原文をできるだけ弄らずに修正すると、こうだったはず。

この世の中にあふれている根本的な考えは割とシンプルだけど、同じようなことを言ってても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 でも、まだちょっと意味がわかりづらい。もう少しわかりやすくするには「この世の中にあふれている根本的な考え」という仰々しい主語をもっとシンプルにする必要があるでしょう。「言葉の重み」というワードから察するに、主義・主張のようなものだと考えてもいいかも知れません。

この世の中にあふれている主義・主張は割と単純だけど、同じことを言っても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 うーん、ちょっと固すぎる印象ですね。前段でビジネスモデルのパクリを例に出して語っているのと、主義・主張(ブログで言うところのオピニオンってヤツ)は界隈フリーランス(彼が言うところの発信者)の売り物とも言えることから、主義・主張は商品・アイデア・コンテンツといった言葉に置き換えても良さそうです。

世にあふれているコンテンツは根っこの部分で似てるけど、同じことを言っても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 そこそこわかりやすくなったと思いますが、それを受けての後段にまだ一考の余地がありそうです。人生経験があると言葉の重みが違うから」という言葉を正直に受け止めれば、「経験に裏打ちされた発言には説得力がある」という意味だと思うのですが、このツイートの動機とのかみ合わせがいまいちよろしくない気がするのです。

 なぜなら、インフルエンサーと界隈ワナビーでは、人生経験でも圧倒的にインフルエンサーのほうが上であることが多く、人生経験を持ち出したところでパクリの正当性には繋がってこないからです。

 このツイートの動機が「自分たちの発言が、インフルエンサーのパクリ」だという批判に対する反論であれば、「言葉の重み」はインフルエンサーに対して勝ち目のない説得力ではなく、独自性のことなのだと解釈すべきでしょう。

 要するにここは、「個々の人生は似ているようで実は大きく違うから、似たようなコンテンツだったとしても、そこに発信者の人生が反映されていればオリジナル足り得るのだ」と言いたいのです。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスを真似ただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。世にあふれているコンテンツは根っこの部分ではかなり似ているけど、そこに発信者の人生や経験が息づいてさえいれば、十分にオリジナルと言えるはずだから。

 修正した文章はこのようになります。しかし、ま〜だちょっと物足りません。 「この世の中にあふれている根本的な考え」という言葉の解釈がちょっと野暮ったい気がするんですよね。いっそ、シンプルに「人間が考えるようなこと」ぐらい噛み砕いてもいいのでしょうか。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスを真似ただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。人間の考えることなんて所詮は似たり寄ったり。でも、そこに発信者の人生や経験が息づいてさえいれば、十分にオリジナルと言えるはずだから。

 これで十分に良くなった気もしますが、よくよく考えると、このままではコンビニコーヒーを持ち出した意味があまり感じられませんね。140字という制限字数の中では、少々厳しいのかも知れませんが、最後は「コンビニコーヒーを飲んではいけない理由」まで語り切る必要があると判断しました。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスを真似ただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。

 人間の考えることなんて所詮は似たり寄ったりだけど、そこに発信者の人生や経験が息づいてさえいれば、十分にオリジナルと言えるはず。コンビニコーヒーだって、あれだけ美味いコーヒーが「コンビニで買える」ことがオリジナルだから、あれだけ売れてるわけじゃん? 一見パクリでも、そこに付加価値があれば、それはもうパクリとは言わせないよ。

 さて、これをtwitterの制限字数140字に落とし込んで完成したのが、

 

フリーランスの発言は、インフルエンサーのパクリ!」と言う人は、コンビニのコーヒーを飲んで欲しくない。人間の考えなんて似たり寄ったりだけど、発言の元となる個々の人生には必ず独自性がある。コンビニのコーヒーもスタバのパクリだけど、コンビニで買えるという独自性があるから売れるんだよ。

 

 結論:コンビニコーヒーの件は完全なる無駄だった。