警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

サンガーノ・クロニクル 5 〜クラウドファンディング、そしてホームレスとの邂逅〜

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 ▲サンガーノの初期代表作は、とある人物との運命的な出会いがきっかけだった。

■"アーティスト"として初めて挑んだクラウドファンディング

 サンガーノ、自由と優しさを求め続けた自己愛の画家。技術や技巧に頼らない本能だけのアート「新自由表現主義」の旗手は、どこからやって来て、そしてどこへと向かうのだろうか。サンガーノの芸術の本質に迫る本稿、第五回はサンガーノの初期代表作ともいえる「World peace is from family」の誕生にまつわる出来事にスポットを当ててみたい。

■念願の個展開催、そのためには膨大な資金が必要だったーー

 2018年2月、サンガーノは「ハイパーリバ邸」設立時以来のクラウドファンディングに挑戦した。「ラッパーを2ヶ月で諦めた無名の画家 宮森はやとの年間サポーターを募りたい」と題したそのクラウドファンディングは、一見すると単に生活費を工面するためだけの、およそクラウドファンディングの趣旨とは異なるもののように思われたが、その企画書にサンガーノは自らの思いをこう綴っていた。

ぼくは普通の画家では終わりたくないのです。もっと社会を面白くするようなエンターテイメント性のある画家になりたいと思っています。

そのためにもぼくはもっと大きなキャンバスで作品を描いていきたいですし、立地のいいギャラリーで個展をしてみたいのです。

その為には資金が必要です。

 サンガーノは個展の開催を目論んでいた。いくら、界隈のインフルエンサーを相手に作品を高値で売り捌いていたとはいえ、それだけの売上では到底生活できない。広く世間に自らの存在と作品を知ってもらい、販路を拡大していくことこそが今後のアーティスト活動の肝要だと考えていたのだ。

 そのクラウドファンディングで目標額に設定したのは50万円。ハイパーリバ邸のクラウドファンディングでは200万円近い額を集めたサンガーノにしては弱気な設定だが、今回は支援者へのリターンも気持ちばかりのものでしかなく、どちらかといえばサンガーノ個人への寄付的な要素が強かった。「このクラウドファンディングは失敗する」と、企画を目にした多くの人が感じたのも当然のことだった。

■支援者たちを試すようなクラウドファンディング大義はあったのか?

 それ以前に、実はこのクラウドファンディング、事実関係を丁寧に掘り下げてみると、個展の開催という口実は実は後付けで、実際はエゴサで見つけた外野の批判に憤慨し、その場の怒りに任せて思い立っただけという非常に短絡的なものであった。そのためか、本格的な支援募集開始の前からアンチの注目が集まっており、可燃性の高い危険な挑戦とも目されていた。

 広瀬すずに絵を飾ってもらうのために、なぜ資金がもっと必要なのかという謎理論はさておき「ぼくに対する応援が単なる口だけなのか、本当の応援なのかここで証明」するために、クラウドファンディングでお金を集めてみせるという行為が、「支援者たちの気持ちを金で試す」という危なっかしい側面も孕んでいたことには、おそらくサンガーノ自身は気付いていないと思われていた。

 早速、その危うさを辛口コメントの手強いコンサルとして知られるハットリ氏に指摘されたわけだが、それに対してのサンガーノのリアクションが実に興味深い。

 クラウドファンディングのきっかけとなったツイートをした渡氏も、クラウドファンディングの動機の危うさを指摘したハットリ氏も、第三者から見れば同じベクトルで物を申しているだけなのだが、サンガーノは渡氏には激怒し、ハットリ氏には謝辞を述べているのだ。しかもハットリ氏への謝辞の理由は「ラインの田端さんなどに言及してるから」という実に他愛ないもの。

 これは、ああ見えて実はブランドや権威性といったものに弱い、サンガーノの人間臭さを如実に象徴したエピソードだと研究者の間では当時かなり注目されたやり取りである。自由を愛する人サンガーノが、唯一自由になれなかった部分があるとすれば、それは権威性という呪縛からではなかろうかという当時の仮説は、現在ではかなり有力な説と見做されている。

クラウドファンディグへの批判、そして画家として初めてのスランプ

 基本的には常に前向きでポジティブな性格のサンガーノだったが、怒りに任せた自身の行動に対する批判はさすがに堪えたのだろうか。以後は、自責の念に耐えかねて酒に逃げる日々の様子がツイートでも見てとれる。

 ツイートだけでなく、この当時は作品にもサンガーノの迷いや後悔の念が色濃く反映されており、画家として初めての「スランプ」のような時期だったとも言える。

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▲1月23日発表の「チルドレン」は、後に「一人称なのでチルドレンじゃなくてチャイルドでした!」と訂正するも、「それは一人称ではなく単数形だ!」との声多数。

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▲2月10日発表の「クラウドファンディングへの思い」」は、作品の核ともいうべき「C」の時が細く頼りない。サンガーノの作品としては小さくまとまった印象だが、これはまだクラウドファンディングへの迷いがあった証拠であろう。 

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▲クラファン開始翌日の2月15日に発表された「ぼくは暗闇の中をジャンプする」は、クラウドファンディングに挑戦するサンガーノ自身の姿がモチーフとされる。覚悟を決めて闇に飛び込む男の姿に本来の力強さが復活した。

■好調な滑り出し、そして急激なブレーキ

 話をクラウドファンディングに戻したい。さて、そのクラウドファンディングが立ち上がったのは2018年2月14日のこと。そこから数日はいわゆる界隈の常連からの支援が立て続けに舞い込み、クラウドファンディングは成功へ向け順調な立ち上がりを見せていた。この当時の心境をサンガーノは経過報告とともにこう述べている。

 クラウドファンディング期間中は、ツイートがクラウドファンディングの話題オンリーになるサンガーノの習性は、この当時から早くも見られていた。以後、クラウドファンディングに関するツイートが井原西鶴の矢数俳諧の如く連投されてゆく。

 クラウドファンディングの期限は12日後の2月26日に設定されていたが、サンガーノは開始2日で早くも目標の4割を超える支援を受けていたことになる。傍目にはこのまま順調に推移していくのではないかと思われた支援額だったが、界隈からのご祝儀モードが落ち着くと、その勢いは残酷なほどにピタリと止まってしまった。

 この急ブレーキには、さすがのサンガーノも危機感を覚えたようだった。感謝の言葉にも心や熱といったものが感じられない。また、同じ頃にはクラウドファンディング失敗を前提としたこんな言い訳じみたなツイートすら残していたのだ。

 この時点に於いては「もはやここまで、大勢は決した」と、一部のアンチは思ったかも知れない。ところが、サンガーノはこの窮地に際しても、起死回生の一発を放つべく準備に余念が無かったのである。

■窮地で息を吹き返すサンガーノ。それは偶然、それとも必然?

 それがこの乾坤一擲の秘策を予告するツイートだった。これだけを読むと、単にクラウドファンディング失敗に際しての、敗戦の弁を執筆中なのかとも思えてしまうが、この数日前、サンガーノは実に思わせぶりなツイートを残していた。

 日付も同じ上に、野外で同じ黒いトップスと&Co.の緑のキャップを被っていることから、この2つのツイートには関連性があると考えられる。

 先にも述べたが、クラウドファンディングの期間中に、サンガーノクラウドファンディングと無関係のツイートをするのは実に稀なことである。だがこの一見してクラウドファンディングとは無関係なツイートこそが、クラウドファンディング期限3日前の2月23日に投下された、次のブログ記事への伏線だった。

※この記事は旧ブログ閉鎖に際しても削除されずにnoteに移行された記事なので、全文は下記にて閲覧することが可能。ぜひ、目を通していただきたい。

note.com

 要約すれば、香取慎吾が段ボールに絵を描いたという話に触発され、自身も段ボールに絵を描きたくなり、短絡的に「段ボール=ホームレス」という発想に陥って、代々木公園にホームレス探しに出かけてみたら、偶然にも気のいいおっちゃんと知り合って、譲ってもらった段ボールに絵を描いたら、なんか知らんけど感動の話になりましたよ、というもの。

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「World peace is from family(世界平和は家族から)」という名の作品は、サンガーノ曰く「マザー・テレサ」の影響が色濃く反映されているとのこと。

 事実だけを切り取ってみれば、大した話でもないエピソードだが、この記事は同時に発表された作品とともに、界隈の枠を超える勢いで共感の和を広げ、ついにはサンガーノが師と仰ぐ家入一真氏からもスーパーサポーター(36,000円)枠での支援が寄せられるほどの一大ムーブメントとなる。

 その勢いのまま、記事投稿翌日の2月24日には、期限の2日前にして目標である50万円に支援額が到達。サンガーノの人生2度目、画家としては初のクラウドファンディングは、見事にサクセスしたのである。

■ホームレスアートとは単なる一枚の絵では終わらない壮大なスケールの芸術品である

 クラウドファンディングを成功に導いたホームレスアート。果たして、これはサンガーノが意図的に絶妙なタイミングで放った計画的なものだったのだろうか。それとも、ウエダさんとの邂逅を虚心坦懐に作品として表したが故の真の奇跡だったのだろうか。

 このことについては、研究者の間でも意見は二分されているが、筆者は「思いつきで実行した作戦が、必要以上の成功(奇跡)を生み出した」という意味に於いて、やや後者寄りではないかと解釈している。

 サンガーノの初期代表作「World peace is from family(世界平和は家族から)」は、単なる絵画作品ではなく、ウエダさんとの出会い、そして段ボールに描いた絵、クラウドファンディングの成功、エピソードを記したブログ記事、これら一連の流れすべてを作品と見なした、所謂「プロセスアート」と評価すべきなのだ。

 その後、豊富な資金を背景に、画材(特に絵の具)への心配がなくなったサンガーノが、バスキアの王冠マークを捨てて、本格的に抽象画家への道を歩みだしたのは前回の稿に述べた通り。次回からは抽象画家としての初期代表作「evergreen」を中心とした「緑の時代」に焦点をあててみたい。

 最後に、このクラウドファンディング成功後のサンガーノが発表したデータ、これが実に興味深いものだったので、紹介しておく。