警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

コンビニのコーヒーも牛丼チェーンの牛丼も無縁の人間にはワケワカメな界隈ツイートを考察してみたよ

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 どうも、サラリーマンが副業の大塚です! え、じゃあ本業は何だって? そりゃあもちろん、twitter上で跳梁跋扈するフリーランス界隈の、極めて難解な日本語を読み解く作業がソレですよ。

 ということで、今回も例によってはま寿司さんからのご依頼で、次のようなツイートを読み解いていきたいと思います。

 

 

 発言の主は、こーせい氏といって現在絶賛売出し中のフリーランスの方。彼のことは私もウォッチしているのですが、非常に読書家であり、行動力あり、知識も豊富な若者で、将来が楽しみな逸材と言えます。

 さて、そんな彼がこの難読ツイートで発信したかったことは、一体どんな思いだったのでしょう? まずは、そのツイートの動機を紐解くところから始めてみたいと思います。そのヒントは冒頭の一文にあります。

ツイッターで発信している人、インフルエンサーと内容かぶってるで!」

 この一文は、カギカッコで括られているところから、第三者の発言の引用だということが一目瞭然。つまり、当該のツイートはこのカギカッコ内の発言に対する彼なりの意見(おそらくは反論)だと解釈できますね。

 ツイートの動機は自分たちへの批判に対する反論だということがわかりました。では、カギカッコ内の文章をもう少し深掘りしてみます。ツイッターで発信している人、とはいったいどんな人のことを指すのか。厳密に言えばインフルエンサーツイッターで発信している人ですけれど、どうやらインフルエンサーは含まれないようです。

 文脈からすると、インフルエンサー未満のtwitterユーザーであり、なおかつ発言内容がインフルエンサーに酷似している人だと推定できますので、ここは所謂「界隈のワナビー層」と解釈するのが妥当でしょう。自分たちへの批判に対しての反論ですから、当のこーせい氏もこの中に含まれるます。となると「駆け出しフリーランスぐらいに変換しておくと、より意味が通りやすいでしょうね(ご本人は、もう駆け出しの域を抜けたと思われているかも知れませんが、その場合は失礼をお詫びいたします)。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」

 カギカッコ内の発言の主は、おそらくは界隈アンチ勢だと思われますので、もう少し厳しめの言葉を使って、最初の一文は上のように書き直してみました。次の文章はわりにシンプルなので、添削せずにそのまま繋げてみましょう。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、コンビニコーヒーと牛丼を一切飲み食いしないで欲しい。

 このような文章が完成しました。文法的には十分に成立していると言えるでしょう。しかし、このままでは、どうして「コンビニコーヒーと牛丼を飲み食いしてはいけないのか」が、全く理解できません。

 これについては、当該のツイートだけでは判断しかねるのですが、リプ欄でフォロワーの方との次のようなやりとりを発見しました。 

 

 コンビニコーヒーや牛丼が「パクリの例え」とはどういう意味でしょう。コンビニコーヒーで言えば、おそらくスタバやタリーズインフルエンサーと位置づけ、対する界隈ワナビー「後発でドリップコーヒーを取り使い始めた」コンビニと位置づけていると考えられます。

 牛丼に関しても、おそらくヒット商品や人気サービスを業界内ですぐに真似し合う外食産業の事情を指しているのでしょう。つまり「牛丼とコンビニコーヒー」は後発(パクリ)ビジネスの成功事例なわけですね。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスをパクっただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。

 どうでしょうか? 一気に点が線になった気がしますよね(牛丼に関しては、パクり、パクられの関係性が双方向でややこしいので思い切って削除してみました)。

 そしていよいよ、最後のパートになるわけです。

この世の中にあふれている根本的な考えは割とシンプルなので、同じようなことを言ってても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 一見すると、文章として破綻していないように思えますが、これ結構むずかしい構造になっていますよ。なぜかといえば「根本的な考え」「割とシンプル」であるにもかかわらず、「同じようなこと」を言っても「重みが違う」というのですから。

 原因は、センテンスを「なので」という語でストレートに繋いでしまったことにあると考えます。おそらく彼が言いたかったのは、原文をできるだけ弄らずに修正すると、こうだったはず。

この世の中にあふれている根本的な考えは割とシンプルだけど、同じようなことを言ってても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 でも、まだちょっと意味がわかりづらい。もう少しわかりやすくするには「この世の中にあふれている根本的な考え」という仰々しい主語をもっとシンプルにする必要があるでしょう。「言葉の重み」というワードから察するに、主義・主張のようなものだと考えてもいいかも知れません。

この世の中にあふれている主義・主張は割と単純だけど、同じことを言っても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 うーん、ちょっと固すぎる印象ですね。前段でビジネスモデルのパクリを例に出して語っているのと、主義・主張(ブログで言うところのオピニオンってヤツ)は界隈フリーランス(彼が言うところの発信者)の売り物とも言えることから、主義・主張は商品・アイデア・コンテンツといった言葉に置き換えても良さそうです。

世にあふれているコンテンツは根っこの部分で似てるけど、同じことを言っても発信者の人生経験があると言葉の重みが違うから。

 そこそこわかりやすくなったと思いますが、それを受けての後段にまだ一考の余地がありそうです。人生経験があると言葉の重みが違うから」という言葉を正直に受け止めれば、「経験に裏打ちされた発言には説得力がある」という意味だと思うのですが、このツイートの動機とのかみ合わせがいまいちよろしくない気がするのです。

 なぜなら、インフルエンサーと界隈ワナビーでは、人生経験でも圧倒的にインフルエンサーのほうが上であることが多く、人生経験を持ち出したところでパクリの正当性には繋がってこないからです。

 このツイートの動機が「自分たちの発言が、インフルエンサーのパクリ」だという批判に対する反論であれば、「言葉の重み」はインフルエンサーに対して勝ち目のない説得力ではなく、独自性のことなのだと解釈すべきでしょう。

 要するにここは、「個々の人生は似ているようで実は大きく違うから、似たようなコンテンツだったとしても、そこに発信者の人生が反映されていればオリジナル足り得るのだ」と言いたいのです。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスを真似ただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。世にあふれているコンテンツは根っこの部分ではかなり似ているけど、そこに発信者の人生や経験が息づいてさえいれば、十分にオリジナルと言えるはずだから。

 修正した文章はこのようになります。しかし、ま〜だちょっと物足りません。 「この世の中にあふれている根本的な考え」という言葉の解釈がちょっと野暮ったい気がするんですよね。いっそ、シンプルに「人間が考えるようなこと」ぐらい噛み砕いてもいいのでしょうか。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスを真似ただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。人間の考えることなんて所詮は似たり寄ったり。でも、そこに発信者の人生や経験が息づいてさえいれば、十分にオリジナルと言えるはずだから。

 これで十分に良くなった気もしますが、よくよく考えると、このままではコンビニコーヒーを持ち出した意味があまり感じられませんね。140字という制限字数の中では、少々厳しいのかも知れませんが、最後は「コンビニコーヒーを飲んではいけない理由」まで語り切る必要があると判断しました。

「駆け出しフリーランスのツイートって、だいたいインフルエンサーのパクリ!」って言う人は今後、スタバやタリーズのビジネスを真似ただけのコンビニコーヒーは一切飲まないで欲しい。

 人間の考えることなんて所詮は似たり寄ったりだけど、そこに発信者の人生や経験が息づいてさえいれば、十分にオリジナルと言えるはず。コンビニコーヒーだって、あれだけ美味いコーヒーが「コンビニで買える」ことがオリジナルだから、あれだけ売れてるわけじゃん? 一見パクリでも、そこに付加価値があれば、それはもうパクリとは言わせないよ。

 さて、これをtwitterの制限字数140字に落とし込んで完成したのが、

 

フリーランスの発言は、インフルエンサーのパクリ!」と言う人は、コンビニのコーヒーを飲んで欲しくない。人間の考えなんて似たり寄ったりだけど、発言の元となる個々の人生には必ず独自性がある。コンビニのコーヒーもスタバのパクリだけど、コンビニで買えるという独自性があるから売れるんだよ。

 

 結論:コンビニコーヒーの件は完全なる無駄だった。