警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

キックさんの思い出

※画像に深い意味はありません…。

 キックさんがTwitterランドから姿を消してから、もう2年の月日が流れようとしています。当初は「どうせすぐに復活するでしょ」と、イキりんの発作と同様に捉えていたのですが、まさかここまでの長期離脱になるとは予想外でした。というわけで、サンガーノ研究にも飽きた今、キックさんとの思い出を振り返りつつ、ちょっとだけああだこうだと語ってみることにいたしました。よろしければ、最後までお付き合いください。

 さて、私とキックさんのファーストコンタクトは、実は結構古くて2018年の6月まで遡ります。キックさんのこのツイートがきっかけでした。

 それは「イノベーション」ではなくて「リノベーション」だろっ! と、当時はまだ日本語原理主義者の看板を掲げていた私がツッコミを入れたのです。

 この当時から、私はイケハヤ門下生ということで、キックさんに対しては批判的なスタンスでおりましたが、当のキックさんはまだ私のことを嫌ってはいなかったようです。

 そんな縁(?)もあってか、キックさん活動初期のスマッシュヒット企画でもある「アンチ対談」にも誘われたのですが、丁重にお断りをさせていただいたなんてことも。

 この一件では「逃げやがったぞ、大塚。ダセぇ!」といったご意見やご感想を持たれた方もいらっしゃるかも知れませんが、意見を異にする二者の対談記事を第三者が中立な立場で書くというならともかく、一方の当事者であるキックさんが書くということで、到底フェアな記事は期待できなかったから、というのが真相です。まあ、そもそも「対立する相手のブログ記事のネタをなぜ、私が我が身の危険を冒してまで提供せねばならんのじゃ」という気持ちもありましたし。

 余談にはなりますが、このアンチ企画の第二弾でキックさんは、対談相手であるとらべるじゃーなさんの奢りで、目白の高級ホテルに同宿したのですが、ホテル側が用意した部屋が「ハリウッドツイン・ルーム」だったのは、今思い出しても笑いが止まりません。 

 そんなこんなで、キックさんとは2019年の3月頃まで、良き引用RT相手として関係を続けていたのですが、突如このような物騒な予告とともにキックさんは私をブロックしてしまったのでした。

 喧嘩を買う気満々だった私としては(嘘)、このブロックは非常に残念だったのですが、Twitter上でのやり取りが出来なくても私なりの感想はお届けできるし、お届けしなけれなという思いから、首を長くしてそのnoteの公開を待ちました。そして、発表されたのがこちらの記事です。

 この内容について今さら掘り返してどうのこうの語るのは、本稿の趣旨ではないので割愛させていただきますが、興味のある方は私が当時note上で公開した反論と比較してご覧ください(ちなみに私の原稿は、界隈系インフルエンサーの炎上芸の本質を突いた、なかなかの良記事だと自負しております)。

 これ以後、キックさんはビジネスの軸足をSNSからリアルに置き換えられたようで、その姿をTwitterで拝見する頻度はめっきり減ったように思います。キックさんは何故、Twitterからフェイドアウトしなければならなかったのでしょうか。

 勿論、真相はキックさんご本人しかわかりません。昔から「便りがないのは無事な証拠」と言いますし、何らかの形でキックさんがビジネスを続けており、ご家族とも楽しい生活を過ごされているに違いありません。

 ただ、あれだけ情熱を注いでいたブログやSNSといったプラットホームからの発信をどうして成功に繋げられらなかったのか。これについては引き続き、元ウォッチャーの立場から考えていきたいなと思います(成功に繋がらなかったというのも多分に私の主観でしかないという失礼は承知の上で)。 

 というわけで、コロナが収まればキックさん念願の「家族四人での世界一周の旅」が実現することを祈りつつ、今回はこの辺で筆を置かせていただくとしましょう。機会(やる気)があれば、続きはまた。