警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

麻薬中毒者であればあるほど、自分がジャンキーだという自覚に欠けるのかも知れない…

f:id:boy2005:20190808230559p:plain  たまには無印良品の商品を買うこともある、大塚です。ということで、つかみの「無印良品」でピンときた方も多いかと存じますが、本日のお題はこーせいクンです。いや、なんか毎回キックネタだと飽きちゃうしね…。

 というか、やはり今夜も帰宅途中の電車でtwitter眺めてたら、博多沖で網にかかったと思しき大物の「こーせい」が入荷されてたんですよねぇ。ということで、今夜はこの季節外れの「アラ」を美味しく頂いちゃうことにします。

 問題のツイートがこちら。「新宿スワン」の異名を持つ凄腕スカウトのはま寿司コラさんに見いだされて以来、自分のツイートに噛み付いてくるアンチが多いのにうんざりしたこーせいクン、こんなことを申しておりますけれど、はたしてこれって正論なんでしょうかね? 私は全然違うと思います。

 以前、キックさんの「アンチに喧嘩売るnote」に対する反論でも申し上げましたが、対象となる相手が多いか少ないかでは発言の主が負う責任は変わらない、というのが私の基本的な考え方なのです。

 例えば、仮に「AIはこれからもっと発達するから、近いウチに銀行員なんてみんなクビだよね!」という発言があったとします。これって対象が世の中のすべての銀行員だからって免責されるんですかね? 私が銀行員なら、間違いなく反発します。「お前の知ってるだけの業務が、銀行員のすべてじゃねーよ!」とね。

 界隈の連中は、よく「サラリーマン」を標的にしますが、サラリーマンというのは漠然とした実体のないものでもなんでもなく、それは会社に勤めている個人の集合体にほかなりません。世間一般や大衆といったものは、因数分解してしまえば、それは一個人にたどり着いてしまうのです。

 だから、サラリーマンをバカにすれば、反発する個人のサラリーマンが現れるのはごく当たり前の話。むしろ母数が多ければ、余計に批判される可能性は高まります。いくら「あんたの話じゃない!」と抗弁したところで、それは通じませんよね。むしろ、単なるサラリーマンではなく、「やる気のないサラリーマン」とかって、発言の対象を絞り込んだほうが、「あんたの話じゃない!」という抗弁は有効になるというものです。

 ただし、発言の対象を絞り込むには、自分の頭で考える必要があります。界隈の連中は発言のことごとくが他人の受け売りで、ほとんど自分の頭で考えていません。だから、対象を絞ろうにも絞れないわけなんですよね(そんなんで、よくもまあ発信を生業にするとか言えたもんだ…)。

 主語を大きくすればするほど、自分の発言が影響する範囲は広がり、それに伴って責任の範囲も広くなるというもの。むしろ、一個人への批判のほうが(誹謗中傷はダメですよ)仮にそれが誤解だったとしても、当人へ謝罪すれば解決する話なので、むしろ安全だし健全なのではないかと思うのです。

 自分の立ち位置と同時に、意見する相手のポジションも明確にする。これこそが健全な議論をする上で、欠かせない土壌ではないでしょうか。「自分の批判は良い批判だけど、おまえの批判はクソリプだな!」というような、オピニオン・ジャイアニズムには、間違っても陥りたくないものです。

「ネットで特定の個人を攻撃する行為」はハッキリ言ってダサいし学びにもならないしお金にもならないし時間の無駄なのは、確かにその通りでしょう。でも、「ネットで不特定多数を挑発する行為」もハッキリ言ってダサいし学びにもならないしお金にもならないし時間の無駄なのも間違いない。そのことに彼が気づく日が来ることを願ってーー。