日本語の読める男こと、ご存じ大塚でございます。さて、このところ元・脱社畜サロン生としても知られる、いしかわ(@73_568)さんの周辺がきな臭いご様子で……ってか、既に軽く炎上しちゃってる感があります。周辺を調べてみると、その発端はどうやらこのツイートのようでした。
「日本語が読めない人が多い」という主張に対して「日本の識字率は100%です!」というデータを出して来る人は、「日本語が読めない」=「文脈が汲み取れない」という文章読解が出来ていないので、「日本語が読めない人」にカテゴライズされることは間違いない。文字を音読できることとは全く別の話。
— いしかわ (@73_568) August 16, 2019
なんで、こんな平凡な(失礼!)ツイートが炎上しちゃうの? 2019年8月18日現在で「1.4万RT、2.5万いいね」って、バズりたがりっ子のはま寿司コラ(@nazoaka_com)さんじゃなくても嫉妬しちゃう勢いですよ。いや、でも、このレベルまで拡散されてしまうと、批判が殺到したり、変な人に絡まれる率も相当にアップしちゃうワケですけどね…。
で、このツイートにも否定的な意見がどしどし寄せられたようですが、否定派の人たち(決して変な人ではないぞ!)の言い分は概ねこんな感じでした。
https://t.co/qsuKBLUnPa そう思うなら「文脈が汲み取れない」と言えばいいわけで、「日本語が読めない」と表現してしまう「日本語力」に問題があるのでは?
— skks (@skks1028) August 16, 2019
人を嘲りたいだけというのは分かるが…何で「文脈が読めない人が多い」と言わないのか、俺には文脈が読めないね https://t.co/rzTae9Te9o
— 龍之新 (@RYUN0SHIN) August 16, 2019
文脈が汲み取れない でいいところを「日本が読めない」と表現したのはなぜなのだろう。呼び水? https://t.co/07XGBDbNdi
— プラプラ (@backstartmic) August 17, 2019
いずれの方も「どうして『文脈が汲み取れない』と素直に言わなかったんだ!」と言いたいのがわかります(でも、そんな3人が3人とも異なる表現で批判しているというのは、ちょっとした皮肉っぽくもあります)。
まあ確かに、文脈が汲み取れない人に「もっと文脈を汲み取る努力をしようよ」と呼びかけたいのであれば、そうしたほうが正しく伝わるでしょう。
しかし、文脈を汲み取ってもらえない者同士で「こういう苦労って、あるよね〜」と共感し合いたいのなら、原文のような表現のほうが、よりいしかわさんの心情は伝わるはず。
私はいしかわさんの本心は知りませんので、「この場合はこっちが正解!」と断定するのは避けておきます。が、まあ「どっちも正解!」ってのが落とし所かな、とも思ってみたり。
そんな中、もう少しだけ物事を複雑に考える方々の中には、こんな意見を述べる方もいました。
これ嫌い。比喩や婉曲表現は、その理解について個人差があるのだから、本来なら言語のほうがよりユニバーサルデザインとかの方向になっていくべきもののはず。それをせず、「比喩や婉曲を理解できる自分は優秀、そうでない『奴ら』は愚劣」と差別に用いるのは言語に対する冒涜だとも思う。 https://t.co/H1z26f8aco
— 遊牧家族/yuuboku (@yuuboku) August 17, 2019
先の3つの反論に比べ、キック文学性のある難解な反論だったために、いしかわさんは文脈が汲み取れなかったのか、twitterでフォロワー諸氏に救援を求めます(でもまあ、仕方ないっちゃ、仕方ないですかね…)。
@日本語解読班
— いしかわ (@73_568) August 17, 2019
本日の宿題です… pic.twitter.com/fKwegUdh2X
しかし、いしかわさんのフォロワーは自ら積極的に動こうとはせず(動いてた方がいらしてたら、スミマセン)、なぜか巡り巡って私に出動要請が回ってくるという安易な展開に……。
「嫌い!げきおこぷんぷんまる!!」って超意訳しかわたしにはできません。こういう時@rrhjrs すぐに大塚さん呼んじゃう💡✨
— はるはる /楽描き🐰✨ (@oxgka) August 17, 2019
キック! キック!
実はちょうどこの時、私は中目黒のパン屋にあるカフェコーナーでベルギーベールの「ヒューガルデン」を飲んで夏休みの終わりを満喫してた真っ最中でした。こんなタイミングでキック文学の読解なんて御免被ります。
ビールを飲むより謎の文に飲まれましょうよ。こっちの方が酔えますってww
— jiji (@jiji93894774) August 17, 2019
ひとまず、文脈を読み取れないの人と割り切るのは嫌い。
にもかかわらず出動要請はさらに続きます。あのさー、タクシー感覚の軽い気持ちで救急車呼んじゃダメだって、消防署の人も言ってたでしょ〜。自分でやりなさい、自分で。ドゥ―・イット・ユアセルフだっつーの。
いやね、それ以前にですよ、このタイミングで既に私はパン屋を後にし、駅のそばにある伊勢五酒店の角打ちコーナーで日本酒に移行しておったワケですよ(ちなみにこの日は黒龍の限定酒ね!)。酒の肴にキック文学ってあり得ないっしょ!(「ショッパイんだから酒の肴には最適だろ?」とか言われてもさ、そんな文脈を汲み取る気などサラサラないからね!)
とは言ってはみたものの、そこに難読文があれば、読み解いてみたいと思うのは人の性。当該のツイートを気にしつつ、ほろ酔い加減で帰宅すると、夕方からの予定がキャンセルになったという連絡が。夕食の時間まで思いがけず暇が出来てしまったので、重い腰を上げて文章読解に取り掛かることに。
読解の過程は端折って結論だけ申し上げると、こんな感じの文章だなと読み解くことが出来ました。
コミュニケーションツールである言語は、比喩や婉曲といった解釈に個人差のある表現法を発達させるより、万人に通用するユニバーサルデザイン的な方向へ進化すべきもの。にも拘らず「比喩や婉曲を理解できる人間は優秀、そうでない人間は愚劣」と差別のネタにするのは、言語に対する冒涜だと思う。
— 大塚 (@rrhjrs) August 17, 2019
言語がユニバーサルデザイン的な方向に進むと、象形文字にならざるを得ないわけで、それって進化じゃなくて退化だよなってツッコミは置いといて(だって、自分の意見じゃないしィ〜!)、まずまずの出来栄えではないかと自画自賛。
この方の意見から感じたことは、「どうして『文脈が汲み取れない』と素直に言わなかったんだ!」と反発を覚える人たちにとって、言葉はツール(=道具)なんだということです。道具は使いやすいほうが良い、つまり言葉はわかりやすいほうが良い、という理屈ですね。確かにそれはその通りでしょう。
しかし、いしかわさんのような人にとっては、言葉はツールであると同時に、それ以上にカルチャー(=文化)という側面を持っているのだと思います。比喩や婉曲のほかにも、掛詞、押韻などさまざまな手法で、言葉を使った表現の幅は限りなく無限に広がってゆくのです。その幅を思う存分に使って言葉を遊び尽くすというのも、それはそれでアリな気がするんですよね(カルチャーってのがカッコつけすぎなら、オモチャでもいいかもしれません)。
そういう意味においては、140字という制約の中で自らの主張を唱えなければならないtwitterは、情報伝達ツールというよりは、言語カルチャーの一種なのかも知れません(そういや「twitter=現代の和歌・俳句説」ってキックさんも唱えてたっけ…)。
最後に、一連の騒動についての私の率直な感想ですが、日本語を読めない人よりもむしろ「日本語を書けない人って多いよね」ってことに尽きます。他人の考えを読み解くことは難しくとも、自分の頭の中にある考えを言語化する程度のことに、どうして四苦八苦するのでしょう。ちょっと理解に苦しむのです。ていうか、みんな感情に任せて勢いだけでツイートしすぎだって。
夜に書いたラブレターを翌朝読み返すと赤面するのは必定。たかが140字のツイートも同様です。書いたら即投稿するのではなく、一度は読み返して推敲することは必須と言えるでしょう。でも、それをやらない人が多いのでしょうね。そういう意味では、ツイッターランドには日本語が書けない人が多いというより、「自分の文章を客観的に読め(ま)ない人が多い」というほうが正しいのかも知れません。ま、そんな私も、この記事は書きっぱなしジャーマン・スープレックスで、推敲なんざするつもりはサラサラないのですが…。
さ〜て、終わったぞ。ビールだ! ビール!