警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

日本語の読める男のゴールドブレンド、ダバダァ〜ダバダァ〜♬

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  日本語の読める男こと、ご存じ大塚でございます。さて、このところ元・脱社畜サロン生としても知られる、いしかわ@73_568さんの周辺がきな臭いご様子で……ってか、既に軽く炎上しちゃってる感があります。周辺を調べてみると、その発端はどうやらこのツイートのようでした。 

 なんで、こんな平凡な(失礼!)ツイートが炎上しちゃうの? 2019年8月18日現在で「1.4万RT、2.5万いいね」って、バズりたがりっ子はま寿司コラ@nazoaka_com)さんじゃなくても嫉妬しちゃう勢いですよ。いや、でも、このレベルまで拡散されてしまうと、批判が殺到したり、変な人に絡まれる率も相当にアップしちゃうワケですけどね…。

 で、このツイートにも否定的な意見がどしどし寄せられたようですが、否定派の人たち(決して変な人ではないぞ!)の言い分は概ねこんな感じでした。 

 いずれの方も「どうして『文脈が汲み取れない』と素直に言わなかったんだ!」と言いたいのがわかります(でも、そんな3人が3人とも異なる表現で批判しているというのは、ちょっとした皮肉っぽくもあります)。

 まあ確かに、文脈が汲み取れない人に「もっと文脈を汲み取る努力をしようよ」と呼びかけたいのであれば、そうしたほうが正しく伝わるでしょう。

 しかし、文脈を汲み取ってもらえない者同士で「こういう苦労って、あるよね〜」と共感し合いたいのなら、原文のような表現のほうが、よりいしかわさんの心情は伝わるはず。

 私はいしかわさんの本心は知りませんので、「この場合はこっちが正解!」と断定するのは避けておきます。が、まあ「どっちも正解!」ってのが落とし所かな、とも思ってみたり。

 そんな中、もう少しだけ物事を複雑に考える方々の中には、こんな意見を述べる方もいました。

 先の3つの反論に比べ、キック文学性のある難解な反論だったために、いしかわさんは文脈が汲み取れなかったのか、twitterでフォロワー諸氏に救援を求めます(でもまあ、仕方ないっちゃ、仕方ないですかね…)。

 しかし、いしかわさんのフォロワーは自ら積極的に動こうとはせず(動いてた方がいらしてたら、スミマセン)、なぜか巡り巡って私に出動要請が回ってくるという安易な展開に……。

 実はちょうどこの時、私は中目黒のパン屋にあるカフェコーナーでベルギーベールの「ヒューガルデン」を飲んで夏休みの終わりを満喫してた真っ最中でした。こんなタイミングでキック文学の読解なんて御免被ります。

 にもかかわらず出動要請はさらに続きます。あのさー、タクシー感覚の軽い気持ちで救急車呼んじゃダメだって、消防署の人も言ってたでしょ〜。自分でやりなさい、自分で。ドゥ―・イット・ユアセルフだっつーの。

 いやね、それ以前にですよ、このタイミングで既に私はパン屋を後にし、駅のそばにある伊勢五酒店の角打ちコーナーで日本酒に移行しておったワケですよ(ちなみにこの日は黒龍の限定酒ね!)。酒の肴にキック文学ってあり得ないっしょ!(「ショッパイんだから酒の肴には最適だろ?」とか言われてもさ、そんな文脈を汲み取る気などサラサラないからね!)

 とは言ってはみたものの、そこに難読文があれば、読み解いてみたいと思うのは人の性。当該のツイートを気にしつつ、ほろ酔い加減で帰宅すると、夕方からの予定がキャンセルになったという連絡が。夕食の時間まで思いがけず暇が出来てしまったので、重い腰を上げて文章読解に取り掛かることに。

 読解の過程は端折って結論だけ申し上げると、こんな感じの文章だなと読み解くことが出来ました。

 言語がユニバーサルデザイン的な方向に進むと、象形文字にならざるを得ないわけで、それって進化じゃなくて退化だよなってツッコミは置いといて(だって、自分の意見じゃないしィ〜!)、まずまずの出来栄えではないかと自画自賛

 この方の意見から感じたことは、「どうして『文脈が汲み取れない』と素直に言わなかったんだ!」と反発を覚える人たちにとって、言葉はツール(=道具)なんだということです。道具は使いやすいほうが良い、つまり言葉はわかりやすいほうが良い、という理屈ですね。確かにそれはその通りでしょう。

 しかし、いしかわさんのような人にとっては、言葉はツールであると同時に、それ以上にカルチャー(=文化)という側面を持っているのだと思います。比喩や婉曲のほかにも、掛詞、押韻などさまざまな手法で、言葉を使った表現の幅は限りなく無限に広がってゆくのです。その幅を思う存分に使って言葉を遊び尽くすというのも、それはそれでアリな気がするんですよね(カルチャーってのがカッコつけすぎなら、オモチャでもいいかもしれません)。

 そういう意味においては、140字という制約の中で自らの主張を唱えなければならないtwitterは、情報伝達ツールというよりは、言語カルチャーの一種なのかも知れません(そういや「twitter=現代の和歌・俳句説」ってキックさんも唱えてたっけ…)。

 最後に、一連の騒動についての私の率直な感想ですが、日本語を読めない人よりもむしろ「日本語を書けない人って多いよね」ってことに尽きます。他人の考えを読み解くことは難しくとも、自分の頭の中にある考えを言語化する程度のことに、どうして四苦八苦するのでしょう。ちょっと理解に苦しむのです。ていうか、みんな感情に任せて勢いだけでツイートしすぎだって。

 夜に書いたラブレターを翌朝読み返すと赤面するのは必定。たかが140字のツイートも同様です。書いたら即投稿するのではなく、一度は読み返して推敲することは必須と言えるでしょう。でも、それをやらない人が多いのでしょうね。そういう意味では、ツイッターランドには日本語が書けない人が多いというより、「自分の文章を客観的に読め(ま)ない人が多い」というほうが正しいのかも知れません。ま、そんな私も、この記事は書きっぱなしジャーマン・スープレックスで、推敲なんざするつもりはサラサラないのですが…。

 さ〜て、終わったぞ。ビールだ! ビール!