こんにちは、頭の仲本工事こと大塚です。え、「冒頭から何を意味不明なことを言ってるんだ」ですって? いや、今朝がたはま寿司コラ(@nazoaka_com)さんから命名されたもので、ちょっと使ってみたというだけ。特に深い意味などございません。
ちなみに、その謎の異名(?)を頂戴するきっかけとなったのが、あのイケボ野郎(注:陰嚢が毛でボーボーの略)こと、田中ボルシチ(@tanaka19951009)さんによるこの引用RTでした。
「コミュ障には、自覚型と無自覚型がある」という話を思い出した。 https://t.co/XIf7bElEia
— 田中ボルシチ (@tanaka19951009) August 19, 2019
よく見ると引用元のツイ主は、カナダ帰りのヨスさんじゃないですか。「どうせまた居酒屋の悪口とか言ってるんだろ」とか思ったんですけど、今回はちょっと趣が異なるご様子。何やら文章論(ってほどでもないか)について語っておられるようですね…
まあ、こんなことを言うと特大ブーメランなんですけど、他人の文章にああだこうだ注文をつけるヤツって、決まって自身の文章は大したことねぇんですわ。実際、この元ツイにしたって、ツッコミどころはたくさんあります。
ということで、じゃあ姑の嫁いびりのように、添削をやっていきます。まずは冒頭の箇所から……
ブログの文章でたまに、自分の文章に対して
こんな短い文の中で「文章」という単語が2度出てきてます。まあ、やむを得ない場合もありますけど、この場合はどうなんでしょうか?
まず、大前提としてブログとは「記事」であり「文章」です。「ブログの文章」って、なんか変じゃないですかね?(文章以外の要素である写真やイラストであれば、「ブログの画像」とかって言うのはいいと思います)
ということで、最初の「文章」を削除してみましょう。当該箇所だけだと、良いのか悪いのか判断がつきにくいので、少し長めに読んでみてください。
「ブログでたまに、自分の文章に対して〜みたいなことを書いているのを見かけるけど」
どうでしょう? これでも十分じゃないですかね。ちなみに、次の箇所にも同じことは言えます。
「わかりづらいですが……」とか「わかりづらくてすみません」みたいなことを書いているのを見かけるけど、
「わかりづらいですが……」と「わかりづらくてすみません」って、わざわざ2通りのパターンを併記しなきゃいけないほど違いがありますかね? だって「わかりづら」まで一緒なんですよ。
例えば、自分の文章に対する言い訳が「読みづらくてすみません」と「言葉が汚くてすみません」だったら、事情が異なるので併記する理由にはなりますけど、これは全然そうじゃないし。140字の制約があるtwitterなんだから、文字数はもっと大事にしましょうよ、ねぇ?
ですから、私であればこう書き直します。
「わかりづらくてすみません」みたいなことを書いているのを見かけるけど、
これで十分でしょ! カギカッコのあとに「みたいなこと」とあるので、それに類似するすべての言い訳も含まれるってことも十分に伝わりますからノー問題なのです。
ここまで読んだ方は、最後の結論部分にも同様の欠陥があることに気づかれたのではないでしょうか?
分かりづらいのが自分で分かっているなら「分かりやすく書く努力」が必要だと思う。
「分かりづらい」「分かっているなら」「分かりやすく」って、お前は「分かりやす教」の教祖様か! …って、ああネタが古くてすみません(また年齢詐称疑惑が…)。
この場合は活用が異なっているとはいえ「分かる」の3連投は、やっぱり文章としてエレガントさに欠けます。それに「わかる」と「分かる」の表記の違いに意図があるようにも見えませんから、これは単なる表記の不統一だと思われ、これもエレガントさに欠けます。
同じ単語の繰り返しが避けられないときでも、同義語を使うことで見た目の単調さを防ぐことは可能。例えば、「自分で分かっている」を「自覚している」とかね。
でもって、ここまでの流れからすれば、最初の「分かりづらいのが」は省略しても意味は通るはず。
その自覚があるなら「わかりやすく書く努力」が必要だと思う。
とまあ、こんな感じで書き直したパーツを合体させるとこうなりました。
「ブログでたまに、自分の文章に対して「わかりづらくてすみません」みたいなことを書いているのを見かけるけど、その自覚があるなら「わかりやすく書く努力」が必要だと思う。
添削の結果「文章」という単語は1つに、「わかる」という単語は2つに減りましたが、意味はすんなり通るままだと思います。いかがでしょう?
しかし、ここで満足してはいけません。添削後の文章にも、まだのびしろはありそうです。何ていうか、この文章だとインパクトに欠けると思いませんか?
ツイートの趣旨は「自分が未熟だって自覚あるなら、言い訳してんじゃなくて努力しろよ!」っていう感じの、結構に手きびしーい☆(©ナオキイシイ)モノなんだから、出だしからインパクト重視で構成したほうがいいのかな、と思うわけです。
ヨスさんはこのツイートで「わかりづらくてすみません」という初心者ブロガーの言い訳をやり玉に挙げて、自覚を促そうとしているのですから、まずはその言い訳から入るべきではないかと。
「わかりづらい文章ですみません」のような記述をブログでたまに見かける。でも、自覚があるなら言い訳より「わかりやすく書く努力」が必要なんじゃないの?
他の箇所も含め、一気にいじってしまいましたけど、「わかりづらい文章ですみません」という記述を冒頭に持ってきて、さらにそれは「言い訳」だと断罪することで、「わかりやすく書く努力」が大事という、そもそも伝えたいメッセージがより強く響くのではないかと思いましたよ。
ということで、今度はあなたがこのお粗末な文章を手直しする番です。どうか、優しく殺しておくんなさい……私はどっちかというと褒めて伸ばすタイプ、なもので。