▲野生の時代に描かれた習作の一つ。右下の王冠マークは初期作品につけられていた印。
■画家サンガーノの誕生
サンガーノ、自由と優しさを求め続けた自己愛の画家。技術や技巧に頼らない本能だけのアート「新自由表現主義」の旗手は、どこからやって来て、そしてどこへと向かうのだろうか。サンガーノの芸術の本質に迫る本稿、第二回は「野生の時代」と呼ばれる初期作品の数々に目を向けてみたい。
■虎の絵に隠された秘密
今でこそ抽象画のイメージが強いサンガーノだが、初期は専ら動物をモチーフに作品を制作をしていた。その大半が、犬や猫といった愛玩動物ではなく、野生の動物であったため、サンガーノの活動初期はしばしば「野生の時代」と称される。
野生動物の中でも、特に好んで描いていたのは「虎」の絵だ。それにはある理由が隠されている。もちろん「サンガーノは無類のタイガースファンだった」などといった陳腐な理由ではない。
サンガーノが画家になる以前に、シェアハウス「ハイパーリバ邸」の設立に情熱を注いでいたことは、前章で既に書いた通り。そのハイパーリバ邸のリビングの壁面には「大きな虎の絵」が描かれている。
▲ハイパーリバ邸のリビングの壁面にある虎の絵。支援者全員の名前も記されている。
シェアハウスのリビングという団欒の場には、およそ相応しくない牙をむき出しにした虎の絵。この作品はもちろん、サンガーノ本人の手によるものではないが、どういう意図で描かれたものだろうか。ハイパーリバ邸の公式サイトに当時のエピソードが紹介されていたので引用してみよう。
百獣の王といえば「ライオン」です。
ですが、ライオンは群れて行動し、単体で生きてはいません。
そして虎は1匹で行動します。
ハイパーリバ邸にいるメンバーはみんな個人としての意思や力を持ちます。
そんなメンバーがシェアハウスという場を通して、必要なときに力を掛け合わせることで、相乗効果が生まれる。
そんな願いを込めて「虎」が描かれています。
「ハイパーリバ邸のなりたち」より
(https://liverty-house.com/directories/hyper)
ここに書かれているように、サンガーノはハイパーリバ邸の設立当初から、虎という動物から個の力で生きる姿を感じ取っていたのである。つまり、画家として人生の再スタートを切るにあたって、虎の絵を描くことは自らへ「個人としての意思や力」を注入する作業だったと言えまいか。
▲アクリル絵具と相性の良いケント紙に描かれた虎の絵。太い前脚は強さ、華奢な後ろ脚は不安の象徴。
▲「平和を願うトラ」と題した作品。
▲「トラは孤独と生きる」は、虎がモチーフではなく自画像という説もある。
ただ、サンガーノが描く虎は、ハイパーリバ邸の虎のように単に力強いだけではない。どれもがみな、寂しさや不安を漂わせたものばかりなのも特徴である。そういう点から「野生の時代」に描かれた虎は強さへの憧れの象徴あるいは、芸術という厳しい道で生きていくことを決心した、画家・サンガーノの姿そのものだと解釈すべきかも知れない。
■表現技法から見た「野生の時代」
野生動物を主に描いた「野生の時代」だが、そこからある画家との共通点が思い浮かぶ。詳細を説明する前に、いくつか当時の作品をご覧いただきたい。
▲サンガーノの処女作と言われている作品。モチーフはノロジカではないかと思われる。
▲こちらも初期の習作。キリンがモチーフだが、どこかアンバランスである。
これら動物をモチーフにした作品に共通して言えるのは、おそらくサンガーノは制作にあたって「実物」を見ていないであろうということ。それがために、実際の動物の姿と比較すると、辻褄が合わない箇所が少なくない。
本来であれば、動物園など実物が観られる場に足を運び、しっかり観察した上でデッサンすべきところだが、ほぼ想像だけでサンガーノは作品を描いている(一部Googleの画像検索結果などを参考にしたこともあるだろうが)。だが、これは決して手抜きではない。
18世紀後半の京都画壇を代表する画家・円山応挙の得意な画題のひとつに「虎」があることはよく知られている。ところが当時は、日本で実物の虎をみることが不可能であった。そのために応挙は虎の毛皮を入手して研究し、猫をモデルにして描いたといわれている。
▲円山応挙「猛虎図」
独特のスタイルで描かれる個性的な虎の絵で、応挙は虎描きの名手として名を馳せるわけだが、良くも悪くもミーハーなサンガーノだけに、虎をモチーフとして描くにあたって、「実物を見ないで描く」という応挙の手法に着目したことは想像に難くない。
また、虎だけでなく動物の絵全般にも言えることだが、大胆かつ奇抜な構図や斬新なクローズアップの技法など、応門の十哲の一人であり、伊藤若冲、曾我蕭白らとともに「奇想の画家」と称された長沢芦雪の影響も随所に見てとれる。
美大などで専門的な芸術を学んでいないサンガーノが、密かにそのことにコンプレックスを抱いていたことは、当時のブログやtwitterでの発言にしばしば伺える。だからこそ、活動初期から先人たちの優れた技法を独自に学び、積極的に作品に反映させていく必要を感じていたのである。
■商業画家としての「野性の時代」
ラップという表現手段を2ヵ月で断念したことで、画家としては見切り発車でスタートを切らざるを得なかったサンガーノだが、初めて作品が売れたのは画家転身後わずか4日目のことで、売買価格は3万円という高額であった。
売れたのは「トナカイ」の絵で、購入者はサンガーノにトナカイの絵をリクエストした界隈ブロガーのぶんた。この時の率直な心情をサンガーノはブログで次のように綴っている。
ぼくはこのブログを書きながら、なぜか涙がポロポロとこぼれてきてるんですけど。
ぼくのように何の経験も無く、しかも31歳という年齢でクリエイターを志した人間には仲間の応援が本当に力になると思いました。
自分の創作物のことを誰にも知られていない、自分に才能があるかも分からない、そんな全くのゼロからスタートで頼みの綱は仲間の応援なのです。
ぼくはぶんたさんという応援者に恵まれたことに心から感謝したいです。
そして、ぼくの絵に3万円の価値があると値段を付けてくれたことに。
これによって自分の創作物に自信が持てました。
旧ブログ「ラッパーを2ヶ月で辞めて画家に鞍替えしたぼくの絵が3万円で売れた話」より
選挙の3ヵ月前に逃走し、ラッパーを2ヵ月で辞めたサンガーノが、どうして画家としてだけは長期にわたって活動できるのか。それは、この4日目にして3万円で作品が売れたという実績がかなり大きく影響しているのがよくわかる。
▲初めて売れた記念碑的作品、トナカイの絵(ぶんた氏 蔵)
選挙で当選するには、区議会選といえども界隈だけでは票が足りない、ラップは商品の形にして販売するのがなかなか難しい。しかし、絵画だけは少し事情が異なる。
画材さえ用意できれば商品を作ること自体は容易であるし、1作品が3万円で売れるのであれば、有名になる前でも仲間うちで購入してもらえれば十分な収入は見込める。「ビジネスモデル」と言ってしまえば元も子もないのだが、この体験によってサンガーノは画家として生きていけると確信できたのだ。
商業的な手応えを感じたサンガーノは、その後は野生動物の他にも界隈の「インフルエンサー」をモチーフとした作品をいくつか発表するようになる。次回はサンガーノの商業的成功に、界隈インフルエンサーがどう影響したのかについて考察してみたいと思う。
※文中敬称略