▲王冠マークの無い作品としては最古のものと考えられる作品「Deep」は、最新の研究では「ウルトラセブン」のオープニングタイトルから着想を得たという説が有力とされている。
■新しき時代の息吹
サンガーノ、自由と優しさを求め続けた自己愛の画家。技術や技巧に頼らない本能だけのアート「新自由表現主義」の旗手は、どこからやって来て、そしてどこへと向かうのだろうか。サンガーノの芸術の本質に迫る本稿、第四回はイケダハヤトの激賞を受けたサンガーノが「野生の時代」を捨て、新しい時代を切り拓こうと苦闘する足跡を辿ってみたい。
■普遍性よりも時事性を
サンガーノのアートがイケダハヤトに認められたのは、芸術にありがちな普遍性ではなく、「仮想通貨」という極めて時事性の高いモチーフを描いたことが、常に新しさを求めるイケダの感性に刺さったからだった。以後、サンガーノは内なる思いを動物ではない「全く新しい何か」に重ねた意欲作を矢継ぎ早に発表していった。
中でも2018年の1月頃に発表された作品には、サンガーノ自身による作品解説が添えられたものがいくつか見受けられる。これは、作風が大きく変化し、モチーフも以前のように具体的ではなくなったため、ある程度「描き手の意図」を説明する必要を感じていたからだろう。
ガラケーからスマホにシフトしたように従来の紙幣からビットコインを主とする仮想通貨にじわじわシフトするのはおそらく時代の流れだ。 そして、中央集権型社会から分散型社会へ。 誰もが経済を選べ、人間の生き方も多様になる自由な社会へ! というわけで新作「Good Bye!」
自由に生きるのは暗闇の中をもがくことだ。一寸先で何が起きるか分からない。そんな状況で大事なのは心の灯火を消さないこと。傷つくことがあったり、挫けそうになったり、誰かがあなたの灯火を消そうとしても、自分の心の軸さえ立っていれば灯火は消えない。灯火を自ら燃えたぎらせよう。新作「炎」
アーティストは常に矢面に立たされている。自分の表現に賛同してくれる人もいるが、批判や罵声を浴びせる人もいる。その時に、心は揺れ動く。でも、そんな時こそ自分の価値観を押し通せなければ、表現者としては死ぬ。 自分の表現を貫くんだ、たとえ1人になっても。新作「暗闇をもがく歪んた火の玉」
ところが、これらの解説は2月に入ると、ぱったりと途絶えて、以後は作品名と画像のみのアップとなってしまった。おそらく、いちいち説明を書くのが面倒臭くなったのだと思われるが、抽象画の解説を描き手本人がするのは野暮の極みとも言えるので、この判断は結果的に賢明だった。
しかし、このサンガーノ本人による解説自体は、以後の抽象画家としてのサンガーノを研究する上で一級の資料であることは間違いない。
■新時代に向かっての試行錯誤
ここからのサンガーノ作品は「野生の時代」とはうってかわり、作品を発表するごとに作風やモチーフのまったく異なる作品が続き、サンガーノ自身が新しい時代の方向性を決めかねていることが伺える。
▲F6キャンバスに描かれた「Teddy Bear」
▲「クラウドファンディングへの想い」は、イケダハヤトが絶賛した時事性に再び挑んだ意欲作とも言える。
▲「あなたの過去になにがあろうと私は好きだよ。たとえ世界が敵になっても私は支持する。」のように冗長なタイトルの作品が目立つのもこの時期の特徴と言える。
■脱バスキア、王冠マークとの別れ
これらの抽象画初期の時代に描かれた作品には、まだサンガーノが私淑するジャン=ミシェル・バスキアの影響が見え、それを示すようにバスキアのトレードマークを模した「王冠マーク」が記されている。3月11日発表の作品「生と死」などは、バスキアを意識した作品の中でも最たるものと言えよう。
▲ダンボールに描かれたと思われる「生と死」からは、バスキア以外にも香取慎吾の影響も伺える。
ところが、この2週間後の3月25日に発表された作品「Deep」(メイン画像参照)からは、突然王冠マークがなくなっており、作風も一気に抽象化が進んでいるのが見て取れる。
この2週間のうちにサンガーノにどのような心境の変化があったのか。資料を紐解いくと3月15日に、サンガーノははあちゅうの出版記念セミナーに参加したことがわかる。
はあちゅうさんの出版記念セミナーに行ってきました。
— サンガーノ🔥クラファン中! (@Miyamo_H) March 15, 2018
はあちゅうさんのお話はとても刺激的であっという間の時間でした。
そして、勇気を出してぼくが以前、描いたはあちゅうさんのアートを見せました。
はあちゅうさんは喜んでくださり、なんと写真まで撮ってくださいました。忘れられない思い出です pic.twitter.com/otLuIhtNJA
そこには、「インフルエンサーの時代」に描かれた「はあちゅうは声を上げる社会を作るために権力と闘った」を持参した姿が画像として記録されていた。
おそらくサンガーノは、イケダハヤトにアポ無し訪問をした時と同様、はあちゅうにも高値での「お買い上げ」を期待していたのだろう。だが、現実はそこまで甘くはなく、記念撮影に応じてもらうのが精一杯だった。はあちゅうは作品に手を触れず、自著の書籍を持って写っていることをみると、彼女の作品評価は決して高くなかったのだろう。
この屈辱とも言える体験が、プライドの高いサンガーノの心に火を着けたことは想像に難くない。サンガーノは、はあちゅうに汚された自らのアートを一度リセットするために、自らのアイデンティともいえる王冠マークを捨て去ったのだ。その時の心境は、配下の馬謖を涙ながらに斬罪に処した、諸葛亮のそれに近いものがあったに違いない。
もちろん、このエピソード以外にも心境の変化を起こした理由は考えられる。ちょうど1ヵ月前に立ち上げたクラウドファンディングで約60万円近い大金が集まり、インフルエンサーに依存する必要がなくなったという金銭面での大きな状況の変化もあった。
いやそれよりも、そのクラファンがサクセスするきっかけとなった「ある人物」との出会いと、そこから生まれた作品がtwitter上でこれまでになく評価されたことで得た自信のほうが大きかったのかも知れない。
はあちゅうとの一件は本質的にはあくまでトリガーに過ぎず、抽象画家サンガーノの生みの親と誕生秘話は、もっと別の場所に存在していたのだ。そのエピソードについて、次回ゆっくりと論じてみることにする。