警察に通報とか色々言ってましたが、東京の方ですか?

タイトルに深い意味はありません、コロコロ変わるはずでしたが、もはやずっとこのまんまかも。

肉にはローズマリー、魚にはタイム、界隈にはキック!

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 ご存じ、三ツ星グランシェフの大塚です。ここだけの話なんですけど私、コロナ禍の前に葉山の鉄鍋伝道師・山口さん経営のCOOK & DINE HAYAMAなるお店で、南部鉄器のオーブングリルパンを購入してたんです。

 で、この在宅ブームに乗じて、いろいろな肉(主に鶏や豚)や野菜を焼く日々だったわけですが、これが想像以上にイーッ!

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▲写真はイメージです

 というわけで、今夜はカラーひよこ(@colorhiyokomaさんのブログ記事企画に参加するため、少しだけ贅沢してラムチョップなんぞを焼いてみようと思うのでありマス。近所にあるおしゃれスーパーは、ラムチョップなんてレア肉も常備してくれているので、こういうときに有り難いですね。これが高知の山奥だと自分で狩るしかないですからね…(嘘)。

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 では早速、このラムチョップに塩コショウを振ってまいりましょう。味付けはこれだけなので、少しぐらいオーバーめで、親の仇ぐらいに振っていいかも知れません。あ、お肉は焼く前に冷蔵庫から出して、常温に戻しておくのは常識ですよ!

 

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 では、購入した南部鉄器のグリルパンをコンロの火にかけて、ほどよく温まったらオリーブオイルを垂らしていきましょう。ここで注意したいのは、オリーブオイルは速水もこみちばりにダラダラと垂らしてはいけません。せいぜいグリルパンの表面にうっすらとオイルがコーティングされるぐらいの感覚で大丈夫。

 オイルを敷いたグリルパンから、煙が上がってきたら輪切りにした玉葱を下に置き、その上にラムチョップを載せ、隙間は同じく輪切りにしたズッキーニで埋めていきます。さらにその上から追い塩コショウをし、野菜にオリーブオイルを垂らしたら蓋をして、グリルパンごと魚焼きグリルに入れてしまいます。

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 この時、古い型の魚焼きグリルだと、サイズ的に肝心のグリルパンが入らない恐れがあるので、グリルパンを購入する際には十分にご注意ください(税込み9,483円と案外と高価なのです)。あと、グリルは下からだけでなく、上からも火が出るタイプが好ましいことは言うまでもありません(でも、ガスコンロで下から加熱するだけでも調理自体はできるし、IHにも対応してるんですけどね)。

 おっと、話が脱線してしまいましたね。肝心のお肉のほうに戻りましょう。さて、クセの強いラム肉を美味しく焼き上げるには、香り付けとしてローズマリーを入れておくことは鉄則と言えます。これを入れるか入れないかで、出来上がりのそれっぽさが段違いですから。

 で、また話は脱線するんですけど、ローズマリーって聞いてまず最初に連想するのは、やっぱりローズ・マリー・バトラーで、ローズ・マリー・バトラーと聞けば彼女が主題歌を歌った角川映画の「汚れた英雄」を思い出しますよね。

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 この頃までは、あの草刈正雄さんも二枚目キャラ一辺倒だったそうで(あー、でも「プロハンター」のトロントは三の要素も多分にあったかも…)。ちなみに、この映画のバイクシーンは、あのイケメンライダーの平忠彦がマシンに跨っていたそうです。ちなみに私は大藪春彦の原作を小学校5年生の頃に読んだマセガキです。

 再び話をお肉のほうに戻しますと、無駄口を叩いている間にいい感じに仕上がった模様です。この間、所要時間は約15分程度。無駄口を叩かなければ、肉を焼いてる間にもう1品作れましたね…。

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 ほら、見てください! この油が弾ける音が聞こえますか? ラム"チョップ"のクセして「キック! キック!」って言うておりますよ(嘘)。食べてみたら、当然の如く美味なわけですが、肉はもちろんのこと野菜の美味さが半端ないことに気づくのです。旨味を一切逃してない凝縮感って言えばおかわりでしょうか? 今度はそら豆を房ごと放り込んで、焼きそら豆を楽しんでみたい。

 気がつくとものの10分で完食したのですけど、ちなみにこのグリルパンは食後の後片付けも簡単で、お湯を流して亀の甲束子でゴシゴシ擦るだけなんですわ。つーか、鉄鍋なので洗剤で洗うのは厳禁なのですよね。使っていくうちに鉄に少しずつ油が馴染んで、いい感じで育っていくわけですよ。

 ということで、いかがでしたでしょうか? 自宅でも簡単に一流レストランの味が楽しめるこのグリルパン、みなさんもぜひこの便利さを味わってみてくださいね…って、なんだよこのクソアフィ記事っぽさは!!!

サンガーノ・クロニクル 4 〜王冠マークとの別れと、抽象画家サンガーノの胎動〜

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▲王冠マークの無い作品としては最古のものと考えられる作品「Deep」は、最新の研究では「ウルトラセブン」のオープニングタイトルから着想を得たという説が有力とされている。

■新しき時代の息吹

 サンガーノ、自由と優しさを求め続けた自己愛の画家。技術や技巧に頼らない本能だけのアート「新自由表現主義」の旗手は、どこからやって来て、そしてどこへと向かうのだろうか。サンガーノの芸術の本質に迫る本稿、第四回はイケダハヤトの激賞を受けたサンガーノが「野生の時代」を捨て、新しい時代を切り拓こうと苦闘する足跡を辿ってみたい。

■普遍性よりも時事性を

 サンガーノのアートがイケダハヤトに認められたのは、芸術にありがちな普遍性ではなく、「仮想通貨」という極めて時事性の高いモチーフを描いたことが、常に新しさを求めるイケダの感性に刺さったからだった。以後、サンガーノは内なる思いを動物ではない「全く新しい何か」に重ねた意欲作を矢継ぎ早に発表していった。

 中でも2018年の1月頃に発表された作品には、サンガーノ自身による作品解説が添えられたものがいくつか見受けられる。これは、作風が大きく変化し、モチーフも以前のように具体的ではなくなったため、ある程度「描き手の意図」を説明する必要を感じていたからだろう。

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ガラケーからスマホにシフトしたように従来の紙幣からビットコインを主とする仮想通貨にじわじわシフトするのはおそらく時代の流れだ。 そして、中央集権型社会から分散型社会へ。 誰もが経済を選べ、人間の生き方も多様になる自由な社会へ! というわけで新作「Good Bye!」

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自由に生きるのは暗闇の中をもがくことだ。一寸先で何が起きるか分からない。そんな状況で大事なのは心の灯火を消さないこと。傷つくことがあったり、挫けそうになったり、誰かがあなたの灯火を消そうとしても、自分の心の軸さえ立っていれば灯火は消えない。灯火を自ら燃えたぎらせよう。新作「炎」

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アーティストは常に矢面に立たされている。自分の表現に賛同してくれる人もいるが、批判や罵声を浴びせる人もいる。その時に、心は揺れ動く。でも、そんな時こそ自分の価値観を押し通せなければ、表現者としては死ぬ。 自分の表現を貫くんだ、たとえ1人になっても。新作「暗闇をもがく歪んた火の玉」

 ところが、これらの解説は2月に入ると、ぱったりと途絶えて、以後は作品名と画像のみのアップとなってしまった。おそらく、いちいち説明を書くのが面倒臭くなったのだと思われるが、抽象画の解説を描き手本人がするのは野暮の極みとも言えるので、この判断は結果的に賢明だった。

 しかし、このサンガーノ本人による解説自体は、以後の抽象画家としてのサンガーノを研究する上で一級の資料であることは間違いない。

■新時代に向かっての試行錯誤

 ここからのサンガーノ作品は「野生の時代」とはうってかわり、作品を発表するごとに作風やモチーフのまったく異なる作品が続き、サンガーノ自身が新しい時代の方向性を決めかねていることが伺える。

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▲F6キャンバスに描かれた「Teddy Bear」

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▲「クラウドファンディングへの想い」は、イケダハヤトが絶賛した時事性に再び挑んだ意欲作とも言える。

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▲「あなたの過去になにがあろうと私は好きだよ。たとえ世界が敵になっても私は支持する。」のように冗長なタイトルの作品が目立つのもこの時期の特徴と言える。

 ■脱バスキア、王冠マークとの別れ

 これらの抽象画初期の時代に描かれた作品には、まだサンガーノが私淑するジャン=ミシェル・バスキアの影響が見え、それを示すようにバスキアのトレードマークを模した「王冠マーク」が記されている。3月11日発表の作品「生と死」などは、バスキアを意識した作品の中でも最たるものと言えよう。

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ダンボールに描かれたと思われる「生と死」からは、バスキア以外にも香取慎吾の影響も伺える。

 ところが、この2週間後の3月25日に発表された作品「Deep」(メイン画像参照)からは、突然王冠マークがなくなっており、作風も一気に抽象化が進んでいるのが見て取れる。

 この2週間のうちにサンガーノにどのような心境の変化があったのか。資料を紐解いくと3月15日に、サンガーノはあちゅうの出版記念セミナーに参加したことがわかる。

 そこには、「インフルエンサーの時代」に描かれた「はあちゅうは声を上げる社会を作るために権力と闘った」を持参した姿が画像として記録されていた。

 おそらくサンガーノは、イケダハヤトにアポ無し訪問をした時と同様、はあちゅうにも高値での「お買い上げ」を期待していたのだろう。だが、現実はそこまで甘くはなく、記念撮影に応じてもらうのが精一杯だった。はあちゅうは作品に手を触れず、自著の書籍を持って写っていることをみると、彼女の作品評価は決して高くなかったのだろう。

 この屈辱とも言える体験が、プライドの高いサンガーノの心に火を着けたことは想像に難くない。サンガーノは、はあちゅうに汚された自らのアートを一度リセットするために、自らのアイデンティともいえる王冠マークを捨て去ったのだ。その時の心境は、配下の馬謖を涙ながらに斬罪に処した、諸葛亮のそれに近いものがあったに違いない。

 もちろん、このエピソード以外にも心境の変化を起こした理由は考えられる。ちょうど1ヵ月前に立ち上げたクラウドファンディングで約60万円近い大金が集まり、インフルエンサーに依存する必要がなくなったという金銭面での大きな状況の変化もあった。

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 いやそれよりも、そのクラファンがサクセスするきっかけとなった「ある人物」との出会いと、そこから生まれた作品がtwitter上でこれまでになく評価されたことで得た自信のほうが大きかったのかも知れない。

 はあちゅうとの一件は本質的にはあくまでトリガーに過ぎず、抽象画家サンガーノの生みの親と誕生秘話は、もっと別の場所に存在していたのだ。そのエピソードについて、次回ゆっくりと論じてみることにする。

 

イケダハヤトはインターネット上の公営ギャンブルだった説を提唱してみる

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 緊急事態宣言下のGW、みなさん如何お過ごしでしょうか? お久しぶりです、現役アムウェイのエメラルドDDこと大塚です!

 さて、アムウェイと言って思い出すのは、もちろんあの「やまもとりゅうけん」ですが、今日のtwitterでは、そのりゅうけん氏を中心として、ちょっとしたオモシロ論争が巻き起こりました。

 ふむふむ、イケハヤはリバタリアンではなかったぞ、と(だからキックさんとも袂を分けたのね)。で、そんなりゅうけん氏のイケハヤ擁護(?)に真っ先に噛み付いたのは、アンチイケハヤの筆頭格とも言える柳メロンパン氏でした。

 すると、りゅうけん氏はすかさずメロンパン氏の反論に対し、「イケハヤは『富の再分配』をしているのだ」と、持論の正当性を説きます。このあたり「ああ言えば、りゅうけん(謎)」の面目躍如といったところでしょうか。

 さあ、お待たせしました! いよいよここで登場するのが、一度噛みつかれたが最後、地獄の底まで放さない「アンチ界隈のすっぽん(在来種)男」もしくは「アンチ界隈のアナコンダ外来種)男」ことルグさんです。

 ここから、ルグさんとりゅうけん氏の間では、往年のドリフコントのような「再分配だ!」「いや再分配じゃない!」という応酬が延々繰り広げられるわけですが、さすがにすべてのやり取りをタグで埋め込むのは面倒なので、そこは割愛させていただくとします(ご興味のある方は直接twitterで追っかけてみてください)。

 お互いの言い分を手短に説明すれば、りゅうけん氏は「イケハヤに騙されない人間にとって、イケハヤとはカモから巻き上げた金を高額納税者として国にたくさん納めてくれるのだから、文字通り『富を再分配』してくれる存在だろ?」と主張しており、それに対してルグさんは「『富の再分配』というわりには、そこに格差の是正が伴ってないし、むしろイケハヤとカモの格差は広がってるじゃん」と納得がいかないご様子だったというわけです。

 このすれ違いは、「富の再分配」という言葉をりゅうけん氏は極めて緩やかに定義したのに対し、ルグさんは極めて原理主義的に捉えたが故だったのですが、彼らのやり取りを見ているうちに、私の脳裏にはふとこんなCMがよぎったのであります。

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 つまりですよ、りゅうけん氏の考えるイケハヤ像ってのは、富める者から富を徴収し、それを貧しい者に再分配する人っていうよりかは、愚か者(失礼)から徴収した金の一部を公共投資に利用する公営ギャンブルに近いんじゃないの? ってことです。

 だとすれば、イケハヤに騙されない人(=ギャンブルしない人)が、イケハヤ(=ギャンブル)を毛嫌いするって構図はなんとなく理解できる気もするんですよね。ただまあ、公営ギャンブルの還元率は75%なのに対し、イケハヤ商材の還元率は……。

 ということで、昔のCMとか持ち出しちゃったせいで、またぞろ年齢疑惑が持ち上がりそうな雰囲気。今宵はここまでに致しとうござりまする(若尾文子調で)。

【ツカペディア】いとう社長

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■概要

 いとう社長は、日本のシンガーソングライター。本名は伊藤宏和。岐阜県岐阜市出身。

 名古屋大学の大学院を修了後、サラリーマンとして働くも、社長のパワハラで心を病み退職。退職後は一念発起して歌手へと転身、自らの挫折体験をベースにした熱き人生の応援歌は、男性サラリーマンを中心に絶大な支持を集めている。「中国超人列伝」が選ぶ”もっとも影響力のある界隈民100人”の11位。

■来歴

 デビュー当初は、バックバンドを従えた「いとう社長とハッピーアンドブルー」のリーダーとして、出身地の岐阜にほど近い名古屋近辺のコメリやDCMを中心に活動するローカルタレントであったが、シングル曲『転売武者』がTwitterで火がついたことがきっかけで、一躍全国区の人気者となる。

 尊敬するイケダハヤトのGarten Recordsと契約後は、ソロのシンガーソングライター「いとう社長」として全国のホームセンターを主戦場として活動を開始。2019年にリリースした初のアルバム『デカい童貞』は、Garten Records新人史上最高の売り上げを記録した。

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▲初のアルバム『デカい童貞』

 2020年の3月には、新型コロナウイルスで大規模イベント自粛の要請が出される中、新宿区の大久保公園での野外ライブを強行。大勢のファンが詰めかけ現場は大混乱に陥り、一時は警察が出動するほどのパニックとなった。

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▲毅然とした態度で警察の職務質問を受けるいとう社長。

■人物・エピソード

  • パワハラで心を病んだ経験があるものの、ライブのMCではファンに「いいか、お前ら!」と強い口調で話しかけることで有名である。
  • ライブ中に言葉を発すると、どんな熱狂的なファンでも退場を命ぜられてしまう。
  • まだデビュー前のキメラゴンにAppleWatchをプレゼントしたことが密かな自慢である。
  • Garten Recordsのイケダハヤトにはメジャーになってからも頭が上がらず、会うときには必ず大吟醸酒を持参している。
  • 東京に滞在するときには、きまってアマン東京のコーナースイートに宿泊する。

ディスコグラフィー

シングル『転売武者』(2018)

 アルバム『デカい童貞』(2019)
 1.デカい童貞
 2.いとうマインド
 3.オープンチャットで会いましょう
 4.カッコつけんなよ
 5.識字率
 6.せどりはカンタン
 7.大久保公園でまちぼうけ
 8.もう答え言うわ

【ツカペディア】オブザトップイヤー

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オブザトップイヤー

■オブザトップイヤー

 オブザトップイヤーは、日本のロック・バンド。通称「オブトプ」。自由だが再現性がなく、また一切の批判を寄せ付けないその音楽スタイルは、時として「ブロックンロール(Block'n Roll)」という造語で表現される。

 ■概要

 グループのリーダーであるハヤトが、2010年に結成したバンド「イケハヤランド」がその前身。幾度にもわたりメンバーチェンジや解散・再結成を繰り返したのち、2020年頃には、いわゆる「界隈」の大物が結集したスーパー・バンドとなった。
 デビューアルバム『オブザトップイヤー』は、発表と同時に凄まじい勢いでヒットチャートを駆け上がり、熱狂のあまり多くのファンが人生を棒に振ってしまうという社会現象まで巻き起こした。

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▲リーダーのハヤト(ソロ時代)。

 ■来歴 

 ルネサス 〜 イケハヤランド時代

 2010年、当時人気のテクノバンド「ルネサス」を音楽性の違いから脱退し、高知県を中心にソロ活動を続けていたハヤト(b / vo)が、シングル「まだ東京で消耗してるの?」のヒットで得た資金でインディペンデント・レーベル「Garten(ガルテン)Records」を設立。そこに集まった若手ミュージシャンのキック(g)、ダイチ(ds)、ブルゾン(key)の4名で、前身となるバンド「イケハヤランド」が結成される。

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▲イケハヤランドのデビューアルバム「イケハヤランド」。

 結成当初は、一部のコアなファンたちによって支持される程度の存在だったイケハヤランドだが、2017年に発表のアルバム『ブロックチェーン』が大ヒット。世間の常識や古い価値観を打ち壊すような、自由気ままな演奏とちょっと不自由な日本語の歌詞で、一躍時代の寵児と持てはやされた。

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▲アルバム『ブロックチェーン』のジャケットは新進気鋭の画家・ミヤハヤの筆によるもの。

 しかし、Garten Records所有のスタジオで、光ケーブルがモモンガに齧られるという事故が発生。ブレイク中にもかかわらず、バンドは活動の停滞を余儀なくされ、代表であるハヤトの放漫経営も重なり、メンバーに十分な報酬を払えなくなってしまった。

 そのため、業を煮やしたキックはGarten Recordsとの契約を打ち切って、自主レーベルの「ファミリーカンパニー」より『主夫リーランス』というシングルをリリース。以後はソロ活動に専念するようになる。

 残された二人も、ダイチが鹿の頭蓋骨を崇拝する悪魔宗教に染まったのち、改造した軽トラにブルゾンを強引に載せ、全国の聖地巡礼に出てしまうなどし、バンドはあっけなく空中分解してしまった。

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▲ダイチによる鹿の頭蓋骨に着色したオブジェ。

  脱社畜サロン〜セミリタイア時代

 たった一人、Garten Recordsに残されたハヤトは、2018年にイケハヤランドの解散を正式に発表、元「エムアンドエー」の圭(ds)、元「me too」のはあちゅう(g)と「脱社畜サロン」を結成するハヤトと圭が人気マンガ『ドラゴンボール』のキャラに扮したプロモーションビデオが注目を集め、結成記念ライブのチケット3000枚は瞬く間にソールドアウトとなる。

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▲脱社畜サロン、幻のデビューアルバム『桃園の誓い』。

 ところが好事魔多しとはよく言ったもので、ライバルバンド「エデン」のリーダーえらてんから、圭のエムアンドエー時代のスキャンダル疑惑が指摘されてしまう。リーダーのハヤトは徹底して圭を擁護するも、肝心の圭の釈明があまりにも曖昧だったために、熱心だったファンも一斉に離れていってしまった。

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▲エデンのリーダー、えらてんはその後も立花孝志など著名人に容赦ない口撃を続けた。

 この騒動見た界隈の大物で、「ブランドジン・レコード」の取締役でもあるタバ・Tは、ハヤトに謝罪会見を開いて事態を収束するように勧めるが、ハヤトはこの忠告を無視。それどころか「タバ・Tはロックじゃない!」と吐き捨ててしまい両者は絶縁に。バンドも界隈内の後ろ盾を完全に失ってしまうことになる。

 その後、悪いイメージを払拭するために「スキルシェアサロン」とバンド名を変えるも世間の批判は止まず、活動の再開は困難だと判断したハヤトはバンドの解散を決意。それどころか、セミリタイア宣言をして表舞台から姿を消してしまった。

 YouTubeからの再起〜シェアリング・カモノミー時代

 セミリタイア宣言後は、ほぼ一日中スマブラ三昧だったハヤトだったが、大手レーベルの「ピース・オブ・ケイクス」と電撃契約を結び復帰。ソロ名義で発表したシングル『#動画撮れ』で復活の狼煙をあげる。しかし、曲の中に過去の「ブログ崇拝」を全否定するような歌詞があり、一部の古参ファンの反感をかうことにもなる。

 再起直後にもかかわらず、窮地に追い込まれる形となったハヤトだが、以前から抱いていたスーパーバンド構想を実現に移すことを決意。元「アムウェイ」のりゅうけん(ds)、元「S.E.O.」のマナブ(g)、元「アコム」のしゅうへいの3名と電撃合体し「シェアリング・カモノミー」を結成した。

 オブザトップイヤーの結成

 シェアリング・カモノミー結成当初は4名で活動を続けていたが、ビジュアル面と若さに物足りなさを感じていたハヤトは、CJ社長率いる「ノビシロ・レコード」所属の注目の新人で、当時まだ中学生だったキメラゴンをスカウト。キメラゴンを交えた5名で本格的なレコーディングを開始すると同時に、バンド名を「オブザトップイヤー」と改名した。

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▲CJ社長が発掘したキメラゴンには、早くも「令和のカリスマ」の呼び声も。

 ところが、ハヤトやキメラゴンによるファンへの煽りが過激すぎるとのことで、「ピース・オブ・ケイクス」から契約を一方的に破棄されると、予定されていた初の東京でのステージも、新型コロナウイルスによる外出禁止要請で直前キャンセルの憂き目に。リーダーであるハヤトの疫病神っぷりに、キメラゴンの母親でステージママとしても悪名高きママラゴンから不満の声があがるなど、早くも今後の活動が危ぶまれている。

 ディスコグラフィー

アルバム『オブザトップイヤー』(2020/ピース・オブ・ケイクス)

1.オブザトップイヤー
2.シェアリング・カモノミー
3.キメラストーム
4.ブリング・ザ・ダイギンジョウ
5.デュエル・アット・オオクボパーク
6.マイ・ファースト・アコム
7.ブレイン
8.ブログ・イズ・オーヴァー
9.シュート・ザ・ヴィデオ
10.オワコン

サンガーノ・クロニクル 3 〜商業的成功と挫折、そしてインフルエンサー〜

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▲画家に転身した2017年10月の1ヵ月間だけで描かれた作品たち(一部)。

■思いがけぬ早期の商業的成功がもたらしたもの

 サンガーノ、自由と優しさを求め続けた自己愛の画家。技術や技巧に頼らない本能だけのアート「新自由表現主義」の旗手は、どこからやって来て、そしてどこへと向かうのだろうか。サンガーノの芸術の本質に迫る本稿、第三回は商業的な側面から、サンガーノと界隈インフルエンサーの関係について論じてみる。

■止まらぬ制作の依頼

 画家としてわずか4日目にして、作品が3万円で売れたサンガーノ。これは決してビギナーズラックなどではなかった。その証拠に3日後には馬の絵が3万円で、そしてさらに4日後にはオオカミの絵が、やはり3万円で売れたという記録が当時のブログに残っている。

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▲本人曰く「髪の乱れ方に疾走感があって、目に生命力を感じるのですごく気に入った作品」

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▲黒猫の絵を見た依頼者のオファーによって制作されたオオカミ。

 これらの作品はいずれも、ブロガー時代のファンからの依頼に応じて描き下ろしたもののようである。初めて売れたトナカイの絵もそうであったが、当時は既成の作品ではなく、依頼者のリクエストに応じる形で新作を描いて売ることのほうが一般的だったようだ。

 11日間で3つの作品が、合計9万円で売れたという嘘のような出来事が、サンガーノはよほど嬉しかったのだろう。当時のブログで「自らの絵には3万円の価値がある」と高らかに宣言している。

ぼくの絵が初めて3万円で売れた時「宮森はやとを甘やかすな」というアンチの声を目にしました。たしかに、他ならぬぼく自身もたった1度売れただけでは「3万円の価値は無い」と思います。

ですが、今回「3回連続で3万円で絵が売れたこと」で、その価値観は変貌を遂げました。

三人寄れば文殊の知恵、仏の顔も三度、早起きは三文の徳、三日三晩と古来から3という数字はとても意味のあるモノとして扱われています。

 また、一度のホームランは誰もが打てる可能性がありますが、2回連続となると滅多にできません。

 それが3回連続となれば余程の実力がなければ無理なことなのです。

というわけで、「ぼくの絵には3万円の価値がある」と自信を持っていいんじゃないかと今は感じています。

旧ブログ「画家開始11日!宮森はやとの絵が3度目の3万円で売れた件」より

 さらにこの数日後、今度は大物ブロガーのやまもとりゅうけんから、やはり3万円で龍の絵の依頼を受ける。この時点で「サンガーノ作品は1点3万円」という市場相場が完成に出来上がったと言えよう。

■史上最高傑作で勝負をかける

 ラッパーから画家に転身し1ヵ月、気がつくとサンガーノは26点もの作品を描き上げていた。そして、さらなる高みを目指すためにブログで再び宣言するのである。

宮森はやと史上最高の絵を描くことに挑戦します。

絵の依頼をくださったみなさん以外にも、ぼくの創作活動にエールを送ってくださった方がたくさんいました。 

そんな多くのみなさんの支えによって、まだ短い期間ですがぼくは画家として活動できていると思っています。

というわけで、そんなみなさんの気持ちを背に受けて、これから「今までの自分の中で一番最高の絵を描くこと」に挑戦します。

何をもって最高かは分りにくい部分ですが、ぼくは「自分の作品を通して人の気持ちをザワつかせたり、勇気づけたりできたらいいな」と思いながらずっと創作しています。

なので「誰が観ても生命力の溢れた絵」に挑戦したいと思います。

誰が観ても恐ろしい生命力のある絵を描いてみたい。

旧ブログ「ラッパーを2ヶ月で辞め、画家になって1ヶ月が経ちました」より

サンガーノ史上最高」を目指して挑戦した野心作。それが本稿第一回のメインビジュアルにもなっている「孤独に打ち克ったトラ」である。

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▲「孤独に打ち克ったトラ」はブログで最初にアップされた際、画像に右のようなぼかし加工がされていたので、筆者は当初「simon game」の絵がモチーフなのだと勘違いをしていた。

 前章でも書いたように、虎はサンガーノにとって個の強さの象徴であると同時に、画家である自身を投影した分身でもあった。

 だが、他の虎の絵と見比べてもらうと一目瞭然であるように、この時代のサンガーノの虎にしては珍しく、不安や恐れといったネガティブな要素はまったくない。それどころか「例外的かつ圧倒的に力強い」ことがわかる。

 これは画家に転向後1ヵ月で26作品を描き上げ、12万円もの大金を手に入れた達成感、高揚感がそのまま絵に表れたものだと考えられる。そしてサンガーノは、この画家としての記念碑ともいえる作品を「3万1円以上」という条件で、自らの意思によって売りに出すのであった。

 これまでに売れた4作は、いずれも買い手からの「指し値」での売買であったが、今回は売り手であるサンガーノから「最低価格条」という条件付きでの売買を求めた。それにはおそらく、自身最高傑作を売りに出すことで、1点3万円という、早くも固定しかかった市場での評価をさらに釣り上げようという狙いがあったに違いない。

■まだ孤独に打ち克てていなかった虎

 ところが、本人の思惑とは裏腹に、史上最高傑作に買い手が現れることはなかった。購入申し込みの締め切りが、本人のブログでの発表から24時間以内ということで、周知が徹底されなかったせいもあるが、仲間内をターゲットにしたやり口が少し露骨過ぎたのかも知れない。当のサンガーノとしては、最低でも5万円ぐらいの値が付くと予想していたようで、この結果はかなりショックであった。

 ちなみに、この「孤独に打ち克ったトラ」は、買い手がつかなかったことから、「孤独と戦い続けるトラ」と改題される。そのきっかけとなったタロット占い師・中川龍の作品評が実に秀逸なので、ここで紹介してみたい。

 もっとも、タイトルの違いだけで作品が売れたとは到底考えづらいのだが、当時のサンガーノの下心をズバリと見抜いている。アーティストとしては基本エゴイストなサンガーノが、素直に他者のアドバイスを受け入れたのも、それが相当に図星だったからだろう。

■心がザワザワするヤギ

  ここで勢いが止まるかと思われたサンガーノの創作活動だが、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、史上最高作が不発に終わった10日後に、またもや作品の依頼が舞い込んできたのである。

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▲混沌とした背景の雰囲気が、抽象画時代の到来が近いことを予見させる。

 完成した「自分の内側と葛藤するヤギ」という名の作品は、サンガーノの知人であると同時に、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの界隈系インフルエンサーとして知られていた八木仁平。

 これまで描かれてきた、野性的で生命力に溢れる動物の絵とは趣がまったく異なり、トランプのジョーカーのような擬人化されたヤギが、どこか妖しげに微笑みかける絵。依頼人の八木をして「心がザワザワするヤギ」と言わしめたこの作品には、なんとこれまでの相場である3万円を大きく超える10万39円という破格の値がつけられるのだった。

■「野生の時代」から「インフルエンサー」の時代へーー

 それに味をしめたというわけではないだろうが、以後のサンガーノは動物からインフルエンサーをモチーフにした実験的な作風へと大きくシフトチェンジしていく。

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▲作品名「けんすう」(左)と作品名「けんすうという概念」(右)

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▲作品名「はあちゅうは声を上げる社会を作るために権力と闘った」

  これらインフルエンサーをモチーフとした作品の評価は、残念ながら「野生の時代」のそれとは足元にも及ばない散々なもので、ネット上ではアンチを中心に容赦ない酷評に晒された。

 確かに「けんすう」シリーズの2作は、既存のけんすうキャラを勝手にアレンジしただけのものでしかなく、アンチからパクリの誹りを免れないものであったし、「はあちゅうは声を上げる社会〜」も、サンガーノ自身のme too問題に対する感情がまるで伝わってこない、気の抜けたサイダーのような作品であったことは確かである。

■憧れの人からの思いがけぬエール

 メッセージをオリジナリティある表現で伝えることの難しさに初めて直面し、画家として初めて苦悩するサンガーノ。ところが、そんな作品を唯一認めた人物がいたのである。その人物とはなんと、あのイケダハヤトだった。イケダは作品「けんすう」について、twitterで次のように評している。

 イケダが反応したことで、はあちゅうも自分をテーマにした作品に「いいね」をするという相乗効果もあった。画家を志す以前から尊敬の念を抱いていたイケダのエールに感激したサンガーノは、自らの意思でイケダのために作品を描き、それを買ってもらおうと思いつく。

 しかし、どんなアートを創ればあのイケダハヤトに満足してもらえるのだろうか。考えれば考えるほど、サンガーノは泥沼に陥り、隘路へとはまり込んでいく。以下は、作品制作時に苦しみと興奮のあまりつぶやいた、サンガーノ本人のツイートである。

 それでも、どうにか納得のいく作品を完成させたサンガーノは、作品を抱えて高知行きの深夜バスに乗りイケダの元へと急いだ。ちなみに高知行きの事実をこの時まだイケダ本人には知らされていなかったというーー。

 イケダの私有地であるイケハヤランドで、久々にイケダと対面したサンガーノは、その場で思い切って作品の購入を迫った。当時、仮想通貨バブルで絶頂の極みにあったイケダは、即決で10万円の値をつけたという。見事、交渉の成立である。ちなみにサンガーノがイケダに向けて描いた作品のモチーフは、まさにその「仮想通貨」だったのだ。

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▲仮想通貨をモチーフにした作品は、芸術にありがちな普遍的なものを対象としたのではなく、極めて時事的なものを対象にしたことが評価されたという。

※文中敬称略

サンガーノ・クロニクル 2 〜画家としての出発・野生の時代〜

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▲野生の時代に描かれた習作の一つ。右下の王冠マークは初期作品につけられていた印。

■画家サンガーノの誕生

サンガーノ、自由と優しさを求め続けた自己愛の画家。技術や技巧に頼らない本能だけのアート「新自由表現主義」の旗手は、どこからやって来て、そしてどこへと向かうのだろうか。サンガーノの芸術の本質に迫る本稿、第二回は「野生の時代」と呼ばれる初期作品の数々に目を向けてみたい。

■虎の絵に隠された秘密

 今でこそ抽象画のイメージが強いサンガーノだが、初期は専ら動物をモチーフに作品を制作をしていた。その大半が、犬や猫といった愛玩動物ではなく、野生の動物であったため、サンガーノの活動初期はしばしば「野生の時代」と称される。

 野生動物の中でも、特に好んで描いていたのは「虎」の絵だ。それにはある理由が隠されている。もちろん「サンガーノは無類のタイガースファンだった」などといった陳腐な理由ではない。

 サンガーノが画家になる以前に、シェアハウス「ハイパーリバ邸」の設立に情熱を注いでいたことは、前章で既に書いた通り。そのハイパーリバ邸のリビングの壁面には「大きな虎の絵」が描かれている。

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▲ハイパーリバ邸のリビングの壁面にある虎の絵。支援者全員の名前も記されている。

 シェアハウスのリビングという団欒の場には、およそ相応しくない牙をむき出しにした虎の絵。この作品はもちろん、サンガーノ本人の手によるものではないが、どういう意図で描かれたものだろうか。ハイパーリバ邸の公式サイトに当時のエピソードが紹介されていたので引用してみよう。

百獣の王といえば「ライオン」です。

ですが、ライオンは群れて行動し、単体で生きてはいません。

そして虎は1匹で行動します。

ハイパーリバ邸にいるメンバーはみんな個人としての意思や力を持ちます。

そんなメンバーがシェアハウスという場を通して、必要なときに力を掛け合わせることで、相乗効果が生まれる。

そんな願いを込めて「虎」が描かれています。

「ハイパーリバ邸のなりたち」より
https://liverty-house.com/directories/hyper

 ここに書かれているように、サンガーノはハイパーリバ邸の設立当初から、虎という動物から個の力で生きる姿を感じ取っていたのである。つまり、画家として人生の再スタートを切るにあたって、虎の絵を描くことは自らへ「個人としての意思や力」を注入する作業だったと言えまいか。

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▲アクリル絵具と相性の良いケント紙に描かれた虎の絵。太い前脚は強さ、華奢な後ろ脚は不安の象徴。

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▲「平和を願うトラ」と題した作品。

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▲「トラは孤独と生きる」は、虎がモチーフではなく自画像という説もある。

 ただ、サンガーノが描く虎は、ハイパーリバ邸の虎のように単に力強いだけではない。どれもがみな、寂しさや不安を漂わせたものばかりなのも特徴である。そういう点から「野生の時代」に描かれた虎は強さへの憧れの象徴あるいは、芸術という厳しい道で生きていくことを決心した、画家・サンガーノの姿そのものだと解釈すべきかも知れない。

■表現技法から見た「野生の時代」

 野生動物を主に描いた「野生の時代」だが、そこからある画家との共通点が思い浮かぶ。詳細を説明する前に、いくつか当時の作品をご覧いただきたい。

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サンガーノの処女作と言われている作品。モチーフはノロジカではないかと思われる。

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こちらも初期の習作。キリンがモチーフだが、どこかアンバランスである。

 これら動物をモチーフにした作品に共通して言えるのは、おそらくサンガーノは制作にあたって「実物」を見ていないであろうということ。それがために、実際の動物の姿と比較すると、辻褄が合わない箇所が少なくない。

 本来であれば、動物園など実物が観られる場に足を運び、しっかり観察した上でデッサンすべきところだが、ほぼ想像だけでサンガーノは作品を描いている(一部Googleの画像検索結果などを参考にしたこともあるだろうが)。だが、これは決して手抜きではない。

 18世紀後半の京都画壇を代表する画家・円山応挙得意な画題のひとつに「虎」があることはよく知られている。ところが当時は、日本で実物の虎をみることが不可能であった。そのために応挙は虎の毛皮を入手して研究し、猫をモデルにして描いたといわれている。

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円山応挙「猛虎図」

 独特のスタイルで描かれる個性的な虎の絵で、応挙は虎描きの名手として名を馳せるわけだが、良くも悪くもミーハーなサンガーノだけに、虎をモチーフとして描くにあたって、「実物を見ないで描く」という応挙の手法に着目したことは想像に難くない。

 また、虎だけでなく動物の絵全般にも言えることだが、大胆かつ奇抜な構図や斬新なクローズアップの技法など、応門の十哲の一人であり、伊藤若冲曾我蕭白らとともに「奇想の画家」と称された長沢芦雪の影響も随所に見てとれる。

 美大などで専門的な芸術を学んでいないサンガーノが、密かにそのことにコンプレックスを抱いていたことは、当時のブログやtwitterでの発言にしばしば伺える。だからこそ、活動初期から先人たちの優れた技法を独自に学び、積極的に作品に反映させていく必要を感じていたのである。

■商業画家としての「野性の時代」

 ラップという表現手段を2ヵ月で断念したことで、画家としては見切り発車でスタートを切らざるを得なかったサンガーノだが、初めて作品が売れたのは画家転身後わずか4日目のことで、売買価格は3万円という高額であった。

 売れたのは「トナカイ」の絵で、購入者はサンガーノにトナカイの絵をリクエストした界隈ブロガーのぶんた。この時の率直な心情をサンガーノはブログで次のように綴っている。

ぼくはこのブログを書きながら、なぜか涙がポロポロとこぼれてきてるんですけど。

ぼくのように何の経験も無く、しかも31歳という年齢でクリエイターを志した人間には仲間の応援が本当に力になると思いました。

自分の創作物のことを誰にも知られていない、自分に才能があるかも分からない、そんな全くのゼロからスタートで頼みの綱は仲間の応援なのです。

 

ぼくはぶんたさんという応援者に恵まれたことに心から感謝したいです。

そして、ぼくの絵に3万円の価値があると値段を付けてくれたことに。

これによって自分の創作物に自信が持てました。


旧ブログ「ラッパーを2ヶ月で辞めて画家に鞍替えしたぼくの絵が3万円で売れた話」より

  選挙の3ヵ月前に逃走し、ラッパーを2ヵ月で辞めたサンガーノが、どうして画家としてだけは長期にわたって活動できるのか。それは、この4日目にして3万円で作品が売れたという実績がかなり大きく影響しているのがよくわかる。

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▲初めて売れた記念碑的作品、トナカイの絵(ぶんた氏 蔵)

 選挙で当選するには、区議会選といえども界隈だけでは票が足りない、ラップは商品の形にして販売するのがなかなか難しい。しかし、絵画だけは少し事情が異なる。

 画材さえ用意できれば商品を作ること自体は容易であるし、1作品が3万円で売れるのであれば、有名になる前でも仲間うちで購入してもらえれば十分な収入は見込める。「ビジネスモデル」と言ってしまえば元も子もないのだが、この体験によってサンガーノは画家として生きていけると確信できたのだ。

 商業的な手応えを感じたサンガーノは、その後は野生動物の他にも界隈の「インフルエンサー」をモチーフとした作品をいくつか発表するようになる。次回はサンガーノの商業的成功に、界隈インフルエンサーがどう影響したのかについて考察してみたいと思う。

※文中敬称略